「歌謡曲は哲学である - 山内志朗」ベスト・エッセイ2012 から

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「歌謡曲は哲学である - 山内志朗」ベスト・エッセイ2012 から

今、私は哲学と歌謡曲の関係について調べている。なにをバカな、と思う人も多いだろう。なぜなら、哲学とは理屈であり、歌謡曲とは理屈などどうでもよく、ひたすら情念を歌い上げるものだからである。この両者に関係などあるはずがないではないか...と。もっともである。しかし私は根っからの歌謡曲ファンであり、二十年来、カラオケでの十八番は「天城越え」である。そして、歌い続けるうちに両者の関係が徐々に明らかになってきたのである。
では、実例を「襟裳岬」(唄・森進一、作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎、一九七四年)に見てみよう。

*北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい

森進一のだみ声がやはりいい。森進一を代表する唄である。レコードの売り上げでは、「港町ブルース」や「年上の女」にはかなわないけれど、ものまねでよく歌われるのは「襟裳岬」だ。人間の情念を唄うのに澄み切った天使の声は似合わないのである。森進一のだみ声、あれは情念がそのまま声になったような感じがする。今聞いても全然古くない。
歌詞を見てみよう。悲しみを暖炉で燃やすと唄っているのだが、これはどういうことか。理屈で考えると悲しみは燃やせるものではない。もしそんなことができたら、喜びをテンプラにしたり、怒りで凧揚げができてしまうではないか。
しかし待て待て、歌は心で感じるものだ。悲しみを暖炉で燃やし始めているとはどういうことか。これは襟裳岬が冬から春に向かうころ、暖炉に薪をくべる人間の心の内を詩的に表現しているということだろう。しかし、なぜ燃やすものが「悲しみ」なのだろうか。
それを解く鍵が次の一節にある。

*襟裳の春は何もない春です

襟裳岬のような北国では、春を迎える前の冬の終わりは一番何もない時期である。私も北国育ちだからよく分かる。食べ物も燃料もなくなってくる。口数も減ってくる。余っているのは「悲しみ」ぐらいだ。そういう悲しみをどうすればよいのか。燃やすしかないのである。情念は押し殺されて消えるものではないから。
古代ストア派の哲学者(ゼノンが代表)は、情念を抑制することを理想とした。そしてこれが長い間哲学の主流となってきた。だが、情念は抑制しても、消えるものではない。とどまり続けるのである。このように「襟裳岬」は、物質は存在したりなくなったりするが、悲しみといった情念はなくならないことを教えてくれるのである。悲しみは暖炉でいつまでも燃え続けるのである。
哲学では、情念を擁護する立場は古代から近代に至るまでずっと少なかった。そういった流れに徹底的に反対したのがD・ヒューム(一七一一~七六)だ。彼はこう述べる。

理性は情念の奴隷てあり、かつ奴隷であり続けるべきである。言い換えれば、情念に奉仕し服従する以上の何らかの役目を望むことはできないのである(『人間本性論』)

理性に対する情念の優位を声高らかに宣言しているのである。といって、すぐにキレたり、注意されると逆ギレする人とか、クレーマーとか、情念のままに動いているような人への応援ソングではない。
ヒュームも憂鬱や悲しみをいつも抱えていた人だった。ヒュームはそれに思想としての形を与えた。理性や理屈だけでは、物事は具体化しない。禁煙やダイエットも達成できない。情念が必要であり、それが人間の意志に働きかけなければならないのである。情念は確かに制御しにくいけれど、情念を無視した哲学など役に立たない。ヒュームはそう言いたいのだ。情念を忘れるなかれ、という点で「襟裳岬」とヒュームは意気投合するのである。燃やすことでは一致しているから。情念の燃やし方に違いはあるけれど。
赤ちょうちんでの飲み友達のように、その違いは酒の肴となって尽きない話が始まる。そういう関係が哲学と歌謡曲にはあるのだ。