3/3「ラブミー農場の四季 - 深沢七郎」文春文庫 余禄の人生 から

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3/3「ラブミー農場の四季 - 深沢七郎」文春文庫 余禄の人生 から

ラブミー農場は秋まで花は絶えないが、野菜やブドーもまたにぎやかになる。
とうもろこしは私のセイの二倍も高くなる。草を刈って積み上げておくと、そこは凄いほど肥料があるのだ。「ハワイの椰子の木みたいだヨ」などと私は言ったりする。それほど高くのびるが、実は一本か二本ぐらいしか成らない。
ラブミー農場には夏はときどき農業をやりたい人たちがやってくる。農業というより土いじりをしたいようだ。一時間か二時間で止めてしまう者もあったり、一日つづく者もある。二日も三日も泊り込んでやる者もいるし、十日もつづける者もいる。そんな人たちにはスコップで畝を掘る仕事をしてもらう。掘ったうねの中に刈った草や野菜のクズを入れる。有機質の肥料になるが、それよりも土がやわらかくなる。そういうところに菜っパなど蒔くと一メートルもセイがのびる。いつだったか、かしな菜を作ったら食べきれなくて春に花が咲き、私の身体もかくれてしまうほどのびてしまったことがあった。
ニンニクは春すぎると去年堀りあげたのは青い芽が出るので食べられなくなってしまう。丁度、その頃から食べられるのが野ビルである。すぐそばの土手に野ビルは沢山あるが根のラッキョウのように白い玉をとるのだ。私のところでは畑に作っておくから採るのにつごうがいい。おろして、醤油で焼肉などにつけると美味い。また、野ビルのヌタなども美味いが、ニンニクを掘るまで野ビルで間にあうのが調法だ。野ビルの花はノッポにのびた茎の先に咲いて、タネが沢山つく。根の玉でもふえるからタネを取る必要はない。ラブミー農場では草の中に、いつのまにか野ビルの茎がのびて種がなくなってしまう。タネはどこでも飛んでいってふえて困るようになる。
ふえて困るのはニラだ。この頃のニラは大葉ニラといってタネでふえる。うっかりしていると、初夏に花が咲いてタネから芽が出てしまう。ラブミー農場では「ニラ退治」と言って、掘ってセメントの上に置いて枯らす。土の上におくと根を出してしまうからだ。昔のニラは葉が細く、根でしかふえない。細い葉で、てきとうなニラの香りが「吸いもの」などに薬味のように使われた。いまはあまり作られていないが、いちど植えておくと、ふえかたが少ないので始末がいい。
春から夏にかけて虎豆の花が咲く。つるをのばすと二メートルぐらいになるが、赤い提灯ぶくろのような花で畑の中の豆電球のように目だっている。小ユビの先ぐらいの大きさの花だが、長く咲いていて実はサヤの中に三粒ぐらい。大さじぐらいの大きな実で、味も最高。煮豆にしたら豆では他の追随を許さない。「トラ豆の花は赤いよ、畑のなかの豆電球だよ」と白秋のカラタチの花もどきに私は口ずさむ。
花もさまざまに咲くがラブミー農場に来た人たちもさまざまだ。花はまいとし咲くが人は同じでないという中国の言葉はよく知られている。だが、花は咲いて散って、まいとしの花はちがっている。人も同じではないというのは、人間は死ぬのでそこにいる人もちがうということだそうだ。が、花も、人もまいとしちがっている筈だ。ラブミー農場にくる人たちもいつもちがう人たちなのだ。家族の一員のように思って来た人たちも、二度、三度とくるうちにいつか遠ざかっていく。ラブミー農場のヌシである私の自分勝手なつきあいに失望するのである。ほんとは、それだから身勝手な私の考えかたをつづけて行くことができるのだろう。それは、身を守る術だとも私は思っている。「ひとりでいるのがいちばんいいです。ひとりが気が合っていいですよ」と私は言う。ひとりでいると誰が来てもお茶を入れないでいいのだ。去年、還暦だから六十二歳、とても人間たちについていけないという私のキモチなのだ。いや、若いときから、そんなふうなキモチだったのだ。
人間たちよりも花、花たちよりも食べるものになる野菜や果物、そんな仲間たちを眺めていることが、幸いだと思っている。
花はいろいろと咲く。が、たいがい、その散るときは汚い。パッと、美しく咲いてすぐ醜態になる。人間たちも、さっと来て、笑顔を見せる。が、すぐに芯のなかの何物かが現われる。そうして私に退治されて不快なキモチで去って行く。「会者定離[えしやじようり]」は仏教的な考えかたばかりではなく、人間たちの醜さで離れていくのだとも思う。私の勝手な考え方、行動、言葉は、それらを追い払うためのエゴイズムだろう。ある意味では私の武器だと思っている。
ラブミー農場の花はさまざまだ。ボケも咲いたり、赤いグミの実も成る。その枝に痛いトゲがあるのも妙だ。トゲが不思議なものだと気がついたのはまだ、このごろのことだ。
いつだったか、若いカップルが来た。
「うちのオヤジが言うことに、アノセンセイ、いつになったら黒竹の根をわけてくれるだろう?」
と。言われて私も気がついた。黒竹ではなく寒竹のことで、細い葉のスマートな竹である。
「それはキレイな竹ですよ、ふえたらわけてあげますよ」
と私は言ったのだった。それは去年、私のところで植えてもらった寒竹で、一株植えたが二本しか芽が出て来ない。ふえたらあげますというのは、五年か、ずっとたってからのことだと私は思っていた。それよりも、「ふえたらあげますよ」と言ったときに相手は返事をしなかったので、いらないと思っていたのだった。
花もさまざまだが、人もさまざまだ。それよりも私自身のその場、その場のキモチはもっとさまざまだ。
そのさまざまなとしつきで六十二年。病気で身体は弱いがキモチだけは強い。だが、どんなに強情な者にでもとしつきは公平である。あるときは重く苦しく。あるときは軽く楽しく。美味いものを食べて涙をこぼすほど感激するときもあったり、苦い味をかみしめたようなときもあった。この身は、たったひとつたけれども、なんとさまざまだろう。
「お如来さまにはオドケは言われヌ」ということがあって、まじめなヒトにはふざけてはいけないということらしい。くち先だけで私はさまざまなことをいままで言ってきた。なんとハデな、豪華な、たのしいことだったろう。また、なんと、もの悲しい年つきだったろう。