2/3「雪の行路(抜書) - 竹島紀元」ちくま文庫 鉄道エッセイコレクション から

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2/3「雪の行路(抜書) - 竹島紀元ちくま文庫 鉄道エッセイコレクション から
 
10時54分。凍るような小樽の空に豪快な汽笛を二声、C62重連は力強く足を踏み出す。田中機関士の右手が加減弁バンドルをぐいぐい引き上げてゆく。ボイラー圧力は16・5キログラム、安全弁を噴かしたC62重連はドラフトに全身を震わせてポイントを渡り、20パーミルの急坂めざして猛然と加速する。静から動へ-、一瞬に変わった巨大な鉄塊を白いドレーンがくまなく包み、粉雪を惓き上げるドラフトが小樽の空を黒く覆う。白一色の町が、みるみるうちに眼下に沈んでゆく。
20パーミルの急坂を一気に登りつめたC62重連は峠のトンネルに飛び込んだ。首に巻いたタオルで顔を覆う間もなく、熱いシンダー(石炭の燃えカス)の雨が降り注ぐ。
トンネルの中はすでに下り勾配。20パーミルの急坂を駆け下りる運転室内は、背後から吹き込む床下の蒸気が渦を巻く。その白い渦の向こうに、前方を凝視する田中機関士の前かがみの姿が見える。坂を駆け下りると、すぐに塩谷の構内だ。
「通票、蘭島-サンカク」
一瞬のうちにタブレットを取り替えて雪に埋もれたホームを時速60キロメートルで通過。踊るようにポイントを渡って本線へ。高い運転室から太いボイラー越しに見る前方の線路は狭く細く、頼りない。その2本のレールも降りしきる雪の中に、次第に見えなくなってきた。
シンダーを浴びて4つのトンネルを抜け、蘭島を過ぎ、雪に埋もれたリンゴ畑をかすめると最初の停車駅・余市だ。ここの停車は短く、息つく間もなく発車、再び白煙とドラフトがすべてを包む。線路は石狩湾を離れて余市川沿いに次第に山に分け入り、渡島半島の付け根を横断する山越えのコースにかかる。仁木[にき]を過ぎると、いよいよ第二の難所-銀山への長い登り坂だ。
加減弁バンドルを握り締めた田中機関士の白い手袋が、機関車の身震いで小刻みに震えている。ジョイントを叩くようにして回り続ける動輪の上下動が固いバネを通して機関車を不気味に揺さぶる。半径300メートルに満たない急カーブが3対の動輪を軋[きし]ませる。揺れの少ないのが自慢のC62も、悪い線路条件で力いっぱい走るため70キロメートルを超えると動揺がひどく、重連機関車の形相は次第に凄味を加えてくる。
銀山を過ぎ、峠を登りつめると長い稲穂トンネルだ。汽笛を合図に、田中機関士と武藤助士は用意した布でサッと顔を隠す。間髪を入れずザーッと音をたててシンダーが降り注ぐ。突っ込む瞬間が最も激しく、数秒後にはソロソロと布を外してまた作業だ。トンネルを出ると長短三声の絶気合図、後ろの本務機がこれに答えて、あとは小沢まで急カーブを切りながら一気に下る。
全列車の制動が、前補機の田中機関士の右手一本にかかってくる。長い下り坂でのブレーキ操作は難しい。客車の重みでグングン増してくる速度を70キロメートル前後に抑えるため、制動とエアの補給に全身の神経を集中する。
小沢に停車するとすぐに、武藤助士は火床を点検する。ストーカーを操作して火床に石炭を撒布する。大シャベルを振るう投炭作業と違って力はいらないが、4平方メートル近い火床にうまく石炭をバラ撒[ま]くには、熟練と細かい神経を必要とする。
小沢から倶知安への道は、さらに険しい。この第3の登り坂は、構内の外れから20パーミル急勾配で延々と続いている。
ひとしきり強まった雪はすぐ吹雪となった。行く手の線路は雪に埋もれて見えなくなった。暗い空と凍る大地を、轟々と鳴りわたる重連のドラフトが覆った。
運転室の中では、田中機関士がバンドルを力いっぱい握り締めて、身じろぎもせず前方を見守っていた。口まで覆った防寒帽からわずかに覗く顔を、機関車の惓き上げる雪煙と横なぐりの雪が叩いた。目の前の大きなシリンダー圧力計の針は、途中の配管が凍ったのか、すでに動かなくなっていた。C62重連のドラフトは、凄まじい苦悶の呻[うめ]きに変わっていった。
12時01分 - 雪にまみれて2台のC62は倶知安のホームに転がり込んだ。田中機関士の顔も武藤助士の顔も、真っ黒だった。
4分の停車の間にC62重連は慌ただしく身支度を整える。氷点下のテンダーの上では、給水と石炭の掻き下ろしに懸命だ。走行部に異常はないか?蒸気配管が凍結していないか?田中機関士は雪まみれの足回りをくまなく点検して回る。この日の気温はマイナス9度だった。