3/3「雪の行路(抜書) - 竹島紀元」ちくま文庫 鉄道エッセイコレクション から

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3/3「雪の行路(抜書) - 竹島紀元ちくま文庫 鉄道エッセイコレクション から

12時05分 - 倶知安発車。すぐ力行だ。スキーを肩に手を振る少女の真っ赤なセーター姿を、重連機関車の雪煙が一瞬にかき消してしまう。行く手は再び雪に閉ざされた孤独な世界だ。
倶知安から比羅夫[ひらふ]まで、短い上下勾配が連続する。そして、ニセコ・昆布[こんぶ]・蘭越と線路は次第に下ってゆくが、羊蹄山[ようていざん]とニセコアンヌプリの中腹を縫う羊腸の道である。
蘭越を過ぎると第4の難所、目名から上目名へかけての長い急坂にかかる。武藤助士が重油噴射のバルブを開く。ストーカーで撒布する石炭の上から重油の強烈か火焔が火室中央めがけて迸[ほとばし]り、加減弁を満開したC62重連は満身の力を振り絞って急坂に挑み続ける。
急坂と急カーブのため、C62重連をもってしてもこのコースでは時速75キロメートルが精一杯だ。小樽~長万部間140・2キロメートルを3時間05分もかかって走る〈ニセコ1号〉の表定速度はわずか45・5キロメートル。
峠の上目名あたりは2メートルを超す雪だった。ここから20パーミルの下り坂を熱郛まで一気に駆け下りる。
黒松内から線路は最後の登り坂にかかり、5つの峠を征服したC62重連噴火湾に近い蕨岱で、気動車急行の下り〈宗谷〉と交換のため運転停車する。吹雪はすっかり影をひそめ、一面に広がる雪原が太陽にまぶしい。白煙に包まれて憩う2台のC62の下半身は雪にまみれ、従台車からテンダー下部にかけて凍りついた雪塊が、雪の山越えの苦闘を物語っている。
長万部へはもう一息。明るい陽射しを浴びて最後のコースを走るC62従連の表情から、きびしさはいつか消えていた。黙々と加減弁バンドルを握る田中機関士、火床整理に余念のない若い武藤助士。やがて彼らのたくましい手は、新しいディーゼル機関車のバンドルを握りしめることであろう。
13時05分、長万部到着。前補機C62・2は、苦労をともにした本務機C62・32に別れを告げて、ドラフトも軽やかに機関区へ引き上げてゆく。函館まで〈ニセコ1号〉を引いて走るC62・32の行く手は、まだ遥かである。
注1
ストーカー=自動給炭機。普通の機関車はショベルを使って手で投炭するが、C62・C61・D52など火床の広い大型機関車は運転台の下とテンダー(炭水車)に設けたこの装置で自動的に石炭をくべている。国鉄では戦後開発され、C62・2号はC62でストーカーを付けた第1号機。

注2
補機=勾配区間を登るのに1両の機関車では力が足りないとき、補助として付ける機関車。本来の牽引機関車(本務機)の前に連結したものを前補機、列車の後部に連結したものを後補機と言っている。前補機の付いた場合が「重連」。

注3
通票=単線区間では駅と駅の間に2本以上の列車が走ると衝突や追突の恐れがあるため、通票閉塞式という方法が古くから採用されてきた。駅間に一個しかない通票を持たないと列車は出発できない仕組で、列車回数が制約され通過列車では授受に手数のいることから、自動信号化の進んだ最近ではあまり見られなくなった。函館本線は小樽~長万部間だけがまだこの方式である。通票が他の駅間で使われないよう、駅間によって通票の形が〇□△?のいずれかに決められている。小樽~長万部間では○が8個、□が9個、△が2個。

(「?」は楕円のようですが判然とせず、記号もありませんでした。)