「老いの恋愛と死(一休・良寛・一遍・円空-そして私) - 佐江衆一」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から

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「老いの恋愛と死(一休・良寛・一遍・円空-そして私) - 佐江衆一」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から

還暦を迎えたとたん、腰痛ばかりか老眼がすすんだと思い眼科医に診てもらうと、老人性白内障がはじまっているという。父も七十歳のころ白内障の手術をしているので、いずれ私もすることになるだろう。父の方はその後、耳も遠くなり耄碌[もうろく]はしたが、風邪ひとつひかず健康で、現在九十六歳である。しかも時おり利用する老人施設の老婆と恋をしているらしく、六十の息子は驚きあきれるが、羨しい気持ちもある。
先日の厚生省発表では、一九九三年の日本人の平均寿命は、女性八十二・五一歳、男性七十六・二五歳、で世界最長寿を誇っており、これは平均寿命だから半数の老人がこれ以上長生きしているわけで、ますます日本人の寿命は延びるだろう。私も父に似て九十以上生きるかも知れず、六十はまだ人生の三分の二だと思えば力も湧くが、老後三十余年はいかにも長い。

美人の膝枕で瞑目

一休

そこでまず思い浮かぶねが一休禅師である。よく知られるように室町時代の一休は、世俗の矛盾をしたたかに棒喝し、女犯[によぼん]、男色[なんしょく]、飲酒[おんじゆ]、肉食[にくじき]の風狂僧として八十八歳で大往生した。その多彩な逸話に触れられないが、七十七歳の秋、盲目の若い美貌の女性森女[しんにょ]にめぐり逢い、十年間ともに暮らし、性愛に耽ったという。八十八歳の辞世の詩は次のようである。

十年花下に芳盟を理む
一段の風情無限の情
別れを惜む 枕頭児女の膝
夜深くして雲雨 三生を約す

若くたおやかな森女の膝枕で静かに瞑目している老一休の姿が彷彿とする。死に際して彼女と過去・現在・未来の三生を約したのだ。

古希過ぎて艶やか 良寛

次に時代は下るが良寛である。手まり上人と言われた良寛和尚の最晩年も色っぽい。古希を迎えた良寛の庵を、手づくりの手まりを持参してはるばる越後長岡から通いつめた美貌の貞心尼は、女ざかりの三十歳。

君にかくあひ見ることのうれしさもまだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ 貞心尼

夢の世にかつまどろみて夢をまた語るも夢もそれがまにまに 良寛

夜もふけぬれば

向かひゐて千代も八千代も見てしがな空ゆく月のこと問はずとも 貞心尼

心さへ変はらざりせば這ふ蔦の絶えずむかはむ千代も八千代も 良寛

そして夜が明け、きぬぎぬの別れを良寛は詠む。

またも来よしばしの庵をいとはずばすすき尾花の露をわけわけ

七十を過ぎてこのような艶やかな一夜を過ごせたら、なんと老いもすばらしいではないか。

一切捨てきる最期 一遍

そこへいくと、中世の一遍上人は同じ僧でも対極にある。一遍は男女の煩悩に苦しみ、彼と親しんだ罪を感じて尼僧となった年若い超一[ちよういち]と、二人の間の不義の子らしい少女超二を連れて遊行[ゆぎよう]の旅に出るが、一たんは二人を解き放つものの、それでもついて来る母子と一切を捨てきった末に、五十一歳で世を去った。経も焼き捨て葬式も禁じ、墓も寺も決して建てるなといい、「我が屍は野に捨ててけだものに施すべし」と言い残した。物欲も愛欲も死後の名声もすべて捨て去った「捨て聖[ひじり]」といわれるゆえんである。
老後をいかに生きて死ぬか、近頃わが事として考えている私は、一休や良寛のような老いの華やぎを夢見る一方、一遍のように一切を捨てきり、自然の老樹のように枯れてゆけぬものかとも願っている。いや、迷っているのだ。しかし、一休のような美人の膝頭での往生は、一休が独身で家族がなく高僧として弟子に囲まれていたから出来たので、家族や老人施設で介護を受けている身には果たせるものではない。そこで痴呆や寝たきり老人にならぬ前に、いかに自分らしい死を迎えるかである。そこで円空のことを思い浮かべる。

微笑して即身成仏 円空

江戸時代の造仏聖[ぞうぶつひじり]円空は、えぞ地にまで遊行し、全国の半ば以上に足跡を残し、悲願十二万体の彫仏の生涯を送った。木片に彫られた円空仏のあの忿怒[ふんぬ]と微笑は、私たちに生きることの厳しさと優しさを教えてくれる。年譜によると、元禄八年七月十五日、六十四歳で盂蘭盆入定[うらぼんにゆうじよう]の素懐を遂げたとある。先年NHKで放映された早坂曉脚本のドラマでは、弥勒寺に近い長良川のほとりで即身成仏するため円空は穴の底に座し、蓋をふさがせて細い竹筒を一本立てさせ、鉦[かね]をチンチンと叩き、その鉦の音が絶えたとき往生した。自ら微笑仏になったのである。

人は自分の意志で生まれたのではないのだから、死も自然にまかすか、死はせめて自分の意志で決めるか、考えの分かれるところだが、自分の意志で精一杯生きたのち、死は自ら決めたいと私は思う。実は私の母は八十八歳で痴呆症になる直前、自分から死を選んだと私は信じている。それには円空のように理解者の介助が必要である。病院で延命医療を受けて死ぬより、日頃から考え、最後は家族の理解と介助を得て円空のように鉦をチンチンと叩けないながらも人々に感謝する心の鉦を叩いて、わが家で穏やかに往生したいものである。