1/3「SMと米俵 - 鹿島茂」文春文庫 セーラー服とエッフェル塔 から

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1/3「SMと米俵 - 鹿島茂」文春文庫 セーラー服とエッフェル塔 から

私の悪癖のひとつに、やたらと仮説を立てたがるというのがある。なにかを見たり聞いたりすると、それがどのような原因でどのような経路をたどってそうした状態に立ち至ったのか、自分に縁もゆかりもないことなのに、想像力を働かせて、因果関係を推測して、整合性を求めたくなるのである。
これを話すと、たいていの人は、結構なことじゃないですか、それこそまさに鹿島さんの知の原動力じゃないですかといってくれるのだが、実際には、それほどほめられたことではないのだ。なぜかというと、この仮説癖が、じつにじつにくだらない事象にまで発揮されてしまうからだ。
例をあげよう。その昔、神田の芳賀書店で、団鬼六氏監修の緊縛写真集を見たとき、私は、そこに展開されている亀甲縛[きつこうしば]りというものにいたく好奇心を刺激された。といっても、誤解のないように言い添えておけば、私の好奇心というのは、性的興奮ということではいささかもない。私は、残念ながら、Sっ気もMっ気もまったくない、いたってノーマルな人間なのだ。
私が好奇心をかきたてられたのは、亀甲縛りという縛り方そのものに対してである。いったい全体、なんでこんな複雑で面倒臭い縛り方をする必要があるのだと、SM本来の「目的」を逸脱したその「手段」の過剰さに、例の仮説癖が反応したからである。
M女を縛って自由を奪うということだけだったら、手足の拘束だけで十分なはずではないか?事実、SMの他の本には、亀甲縛りではない普通の拘束のポーズも載っている。また、外国のSMには、こんな拘束の仕方は絶対にありえない。第一、外国人は手先が不器用だから、こんな複雑怪奇なかたちに縄をめぐらせるなどということができるわけがない。そこで、導き出される第一の仮説。
「亀甲縛りは日本独特の文化である」
だが、この仮説だけでは少し不足している部分があるように思う。そこで多少補って、第二の仮説を立ててみよう。
「亀甲縛りは、日本の一部にある伝統・習慣を反映したものである」
というのも、日本のSM文化の全部が全部、緊縛を旨とする亀甲縛り系統ではないことは明らかだからである。それは、SMを歴史的に跡づけてみればすぐにわかる。亀甲縛りは、歴史のある一時期から出現したものなのだ。
しかし、この第二の仮説に深入りするには、まだ資料が少なすぎる。とりあえず、第一の仮説「亀甲縛りは日本独特の文化である」の証明から始めてみよう。
この第一の仮説というのは案外簡単に証明できる。なぜなら、欧米系のSMには縄と紐という要素はほとんど登場しないからである。欧米系SMの主要な要素は、「革」と「鞭」であり、縄や紐では決してない。すなわち、M女を拘束するのは、囚人用の手かせ足かせに似た「革」製の拘束具であり、このM女を、同じく「革」製の鞭で打ちすえるというのがSMの基本である。ひとことでいえば、欧米系SMの基本グッズは、「革」を主体とする動物系であり、繊維から作った縄・紐の植物系ではない。
これは、遊牧民が土着して作った家畜中心の文明である欧米文化と、農耕中心の日本文化との根本的なちがいといえる。つまり動物文明の欧米文化は、SMにおいても動物系であり、植物文明の日本文化はM女においても植物系だということである。
だが、この議論はいかに説得的に見えても、その実、SMの本質を大きくはずしている。唯物論的にすぎるのである。SMというおよそ脳髄的なセックスを説明するのに、その上部構造(精神)を無視して、下部構造(物質)にのみこだわっているからだ。すなわち、動物系の欧米では、SMに革が採用され、植物系の日本では縄が使われたという議論は、そこにはたらく精神の動きというものを見ずに、あまりにも物質的規定にとらわれているのではないかということである。SMとは、なによりもまず精神の動きであるという事実を確認しておかなければならない。