「ビアホールで - 清水哲男」エッセイ’ 91 から

f:id:nprtheeconomistworld:20201015082448j:plain




ウィークデイの、とある昼下り。銀座の表通りに面したビアホールに入る。
天井の高いこの店には、古い建物特有の冷気が漂っていて、肌に心地よい。この時間帯は、客もまばらだ。
大きなジョッキと小さなつまみをひとつずつ取って、「さて、世の中はどうなっておるのかいな?」と、窓の外の通りを忙しげに歩く人たちを眺めるのが、私のたまさかの至福の時である。

-よのなかにねるほどらくはなかりけり
うきよのばかはおきてはたらく

ま、こんな狂歌の世界にあい通ずる心境になれるとでもいえばよいのだろうか。二十代の終り頃にこの店の味を覚えてから、ずっとつづいている、私のささやかなぜいたくだ。
昼間からビールを飲む。そのことがぜいたくではないのであって、なにやら猛然と人々の活気が渦まいている東京は銀座のまんまん中で、ひとりぽつねんと極度にエネルギーを落としていられる状態が、なんとも快適であり愉快なのである。
「ザマァ見ろ!」
そんなセリフでも吐いてみたくなるほどに、この閑散としたビヤホールの空間は、居心地がよろしい。大きなジョッキを飲みほすころには、「このまま死んでしまいたい」などと、かの西田佐知子の歌の一節が、口をついて出てきてしまうほどになる。
ちらほらと坐っている他の客も、同じ心境なのだろうか。
ときに店内を見まわしてみるに、若い人はほとんどいない。当然のことながら、若い人は“窓の外”の世界で働いているからである。たまに大声がとびかっているテーブルをみると、たいていが外国からの観光客としての若い人たちだ。
つまり、ほとんどが老人。といって悪ければ、“窓の外の世界”から定年退職してきた男たちである。誰もがひとりぽっちで、思い思いの方向に視線をやり、ひたすらに静かにビールの味を楽しんでいる。
本を読みながら飲んでいる人を見かけるのも、この店の特長だろう。近くの洋書店のカバーのかかった本のページをいとおしげ眺めている人も多い。
そんななかで、私がいちばん好きな客は、本も持たずカバンや袋も持たず、あわても騒ぎもせずに、ゆうぜんと飲んでいる人だ。こういう人は「ザマァ見ろ!」などという下品な言葉は吐くまいし、本などというものにもアイソをつかしてしまっているはずである。
こんな人に出くわすと、なるほど、私のぜいたく気分も、まだまだ“ささやか”すぎると思ってしまう。この「風格」を身につけるためには何をすべきかと、ぜいたく気分も地に落ちてしまう。