「第八章「尼崎港線」・「東羽衣線」 - 宮脇俊三」河出文庫 時刻表二万キロ から

「第八章「尼崎港線」・「東羽衣線」 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表二万キロ から

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私の会社には釣りのグループがあり、ふだんは近在でハゼとかニジマス程度のものを釣っているが、一年に一回だけ六月か七月頃に遠征をやる。前年は「カレイが絨毯のように折り重なっているんだぞ」と煽動する人がいて、はるばる陸奥湾まで行ったりしていた。
私は釣りとは縁がないが、幹事から相談を受けたのか、「今年は夜行じゃなくて、夜遅くてもその日のうち着けるところにしたいなあ」と同志で協議しているところに口をさしはさんだのか忘れたが、
若狭湾だったら五時過ぎに乗っても八時半には着けるよ」
とでも言ったらしい。すると相手は非常に驚き、あっさりとそれに決まってしまった。そんな因果で、会員でもない私が同行する約束をしたのを忘れていたのであった。
それで翌週の金曜日の夕方から大挙して若狭へでかけ、敦賀着20時25分、その晩は美浜の船宿に泊まった。私の役割はこれで終ったので、翌日は小浜の蘇洞門[そとも]や明通寺[みようつうじ]を見てから、湖西線を通って午後四時前に大阪に着いた。大阪まで出てきたのは、友人の縁談で一度会っておきたい女性がいたからであった。
しかし、もうひとつ魂胆があって、それは「尼崎港線」に乗ることであった。もっとも、尼崎港線という名称はなく、正式には福知山線の枝線であるが、名無しでは不便なので私は勝手にそう呼ぶことにしている。おそらく地元の人もそう呼んでいるだろう。
 
「尼崎港線」は、福知山線の起点尼崎のつぎの塚口から尼崎港までの四・六キロの線である。大工業都市尼崎を南北に貫通しているから活況を呈しそうな線であるが、走るのは貨物列車ばかりらしく、旅客列車は朝夕の二往復しかない。
夕方の尼崎港行は塚口を16時38分に発車する。それに乗るためには大阪発16時05分の福知山行に乗ればよい。
大阪に近いのに田舎の駅のような塚口に着いて、一五分ほど待っていると、ディーゼル機関車に牽かれた二両連結の客車列車が入ってきた。私が乗った前の車両には客は一人もいなかった。連結器の衝撃が前後にがっくんときて、至極緩慢に走りだすと、まもなく東海道本線の上を高々とまたぎ、土手の上のごみ捨て場のような無人駅に停車する。ホームの柵はこわれ、駅名標は傾きペンキも剥げているが、「尼崎」と書いてある。
ちゃんとした尼崎駅は東方約三〇〇メートルの位置にあり、ここから見下ろせるが、こちらも粗末ながら尼崎であって、西尼崎でも尼崎土手でもない。
土手の尼崎駅から本格的な尼崎駅へ行くにはどうするのか、車窓から見た限りではわからないが、おそらく一般道路を歩くのだろう。しかし、土手を降りるときは危っかしい階段しかないから、足を踏みはずさないよう注意しなければなるまい。
降りる客も乗る客もない尼崎を発車すると、線路は地平に下って、建て混んだ家並みのなかでまた停まる。これも無人駅の金楽寺[きんらくじ]で、近くにそういう名の寺がある。駅前広場などまったくないから、路地裏で臨時停車しているような感じがする。
国道二号線と阪神電車の下をくぐり、右へ急カーブしながら、きいきいと車輪を軋ませて16時52分、終点尼崎港に着いた。
古いながら大きな駅舎があり駅員もいたので、尼崎港駅発行の切符を入手しようと声をかけると、六時過ぎまで列車はないと言う。それは知っているけれど、この駅の切符が欲しいのだと頼むと、たいへん面倒くさそうに窓口へやってきた。面倒なのは無理もない。この駅には行先きを印刷した切符は用意されていないらしく、発駅・着駅・人数・発行年月日・有効期間・運賃など、すべてカーボン紙を挟んでの手書きで、しかも「事由」の欄に「片道券」などと記入しなければならない。そのあと「下車前途無効」とか「尼崎港駅」などのゴム印を捺して、それで四〇円であった。
一〇分ほど歩いて阪神電鉄の尼崎から大阪に戻り、その晩、約束しておいた人に会った。さっそく「尼崎港線」に乗ってきたことを話し、切符を見せたが、相手は大阪の人なのに、この線に乗ったことがないばかりか、存在すら知らなかったので関心を示さず、鳩を思わせる美人であったから、眼をますます丸くして、切符のかわりに私の顔を見つめた。
 
翌日は阪和線の枝線である鳳[おおとり]-東羽衣[ひがしはごろも]間一・七キロに乗るべく、難波から南海電鉄で羽衣へ行った。天王寺から阪和線国電で往復してもよいが、行きと帰りで趣向を変えてみたかった。
羽衣と東羽衣は狭い駅前広場を共用しており、同じ駅名にしたほうがいいのではないか、と思われるほど近接していたが、お互いに関係ないといった態度で、いかにも仲がわるそうであった。南海電鉄は北向きの地平、国鉄は西向きの高架なのである。東羽衣は旧阪和電鉄の山手羽衣駅であるから、鎬を削り合った同士として当然なのだろう。阪和電鉄時代は地平にあったと思われるが、現在の国鉄駅は真新しい高架駅で、しかも終点だから、ロープウェイの乗り場のようだ。新しくて高いから、ここでは国鉄の方が優位に見える。
電車の発着も頻繁で、待つほどもなく電車が来て、乗ったら一・七キロだからすぐ鳳に着いた。きのうの「尼崎港線」と合わせてもわずか六・三キロで、国鉄全線の一万分の三に過ぎないが、二線区を消化したのだから多とせねばならない。残存線区数はこれで三二となった。

*鎬=しのぎ