(巻二十七)罪の香と罰の色なり紅薔薇(物江里人)

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巻二十七)罪の香と罰の色なり紅薔薇(物江里人)

10月29日木曜日

秋晴れでありました。

秋の空高きは深き水の色(松根東洋城)

特に家事もなく、午後は本が届いていたので駅前の図書サービスカウンターまで往復を歩いた。

本日は六千六百歩で階段2回でした。

3冊借りたのだが、そのうちの一冊が、

「鍵・瘋癲老人日記 - 谷崎潤一郎」(新潮文庫)

である。

嵐山光三郎氏のお話を読んで、いつかは読もうと思っておりました。

「不良老人の色気 ー 嵐山光三郎」退歩的文化人のススメ から

《七十歳で書いた小説『鍵』は、五十六歳になる大学教授の夫が、四十五歳の妻郁子との性生活を十分に享受したいという願いを日記に書き、日記を入れた机の鍵をわざと落とす。夫の日記はカタカナ書き、妻はひらがな書きで、互いに読まれることを想定した性愛夢日記である。若いとき、この小説を読んだ私は、「なんでこんな面倒な手つづきをするのか」が理解できず、ただのエロ小説だと思っていた。それが、年をとってから読むと異常に興奮して、妻に「私らもマネしようか」と申し出て、「なにバカ言ってんのよ」とひっぱたかれた。最初から妄想日記とバレてしまっては、谷崎の域に達するにほど遠い。『鍵』が発表されたときは、国会の法務委員会で問題になって、世評は「ワイセツか芸術か」で沸きかえり、そのぶん小説は売れた。発禁をくりかえしてきた谷崎の作戦勝ちといったところ。『鍵』が評判になった翌年(七十二歳)、虎の門の福田家で発作をおこし、右手が使えなくなり、以後、口述筆記に頼らざるを得なくなる。『夢の浮橋』はそんななかでなった最初の作品だった。谷崎をふるいたたせたのは「老いの意識」で、衰弱が逆に原動力となっていく。こんな芸当は、気力体力が充実している若いときにはできるものではない。 》

郁子さんは好き者で名器だと分かりました。全く文学的には読んでおりません。

仮名で書かれた夫の日記は読み難くてジャンプです。

団鬼六氏の作品『花と蛇』や『~夫人』シリーズを思い出しました。流石に図書館にはないので古本屋で探してみよう。

鍵穴に密塗りながら息あらし(寺山修司)

願い事-叶えてください。

先輩のW氏の訃報が届いた。詳しいことは分からない。

今日の平均寿命で云えばかなり残しての他界ではある。

ご本人がどう捉えていたのかは測る由もない。

が、それはそれでよかったのかも知れないと勝手に思っている。長生きだけが幸せではないし、終わり方が潔く、苦しまねばよき往生であると言ってもよい年齢帯に入っているのだ!

良き時代を生きて蒲団で大往生(高橋将夫)