「きつい鉋[かんな]をかけられて ー 早坂曉」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から

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「胆嚢癌です」
主治医から、はっきり告知されたときは正直言ってもう駄目かなと思った。なにしろ心筋梗塞で倒れ、心臓手術を待っているときの癌発見である。それもかなり進行しているらしく、「早坂さん、好きなものを食べていいですよ」と言うではないか。
「いままでで、一番の鉋だな......」
“鉋”とは、ある宮大工がつぶやくように教えてくれた「木というんは、結局のところ鉋をかけてみんと分かりません」のこと。素直な佇[たたず]まいの木でも、ときとして柾目[まさめ]が乱れていたり、大きな塊を抱いていたりする。つまり、人の性根も“鉋”をかけてみないと分からない。人の“鉋”は、いつも“切所[せつしよ]”という形をとって現れるが、死は最大の“切所”である。
哲学するのは、いかに死すべきを学ぶためだと、モンテーニュのエセーにあったことを思い出したが、私は哲学することを長く怠ってきた。五十歳にして突然に死と向かい合ってただ途方に暮れている。いや、突然と思うのは私の心がぼんやりとしているからで、ついこの間までは、人生五十年と観じて日本人は生きてきたはずだし、郷里の先輩正岡子規さんなんか三十五歳で死んでいる。
それにしても、死とはどんなロケーションなのか。四国に遍路みちを開いてくれた空海が、死の直前に、それこそ死を最も間近に見ての、現場中継のような言葉を残してくれていた。
「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで生の終りに冥[くら]し」
生まれる前の、ひょっとして母の胎内の暗がりに似た死の世界なら、むしろ快い薄暗がりかと勝手に安心するところなど、いかにも泥縄式で、その場あたりで、自分でもおかしくなった。
宮沢賢治さんは三十七歳で死んでいるが、死の直前に自分でオキシフルをしみこませた脱脂綿で体をふいたという。せめて、そのまねでもしたいとオキシフルと脱脂綿を用意したが、病院ではそんなまねはさせてもらえないだろうから、直前に脱出しようとひそかに誓う。
日帰りの外出は構わないと奨められても、最後に見ておきたいものにいろいろと迷った。ビバルディの「四季」なら優しい音楽だと、その演奏会に出かけた。演奏されて五分もたたないうちな激しい嗚咽とあきれるほどの涙に襲われ、周囲の観客を驚かせる。私自身も驚いて客席から逃げ出した。
李朝青磁展があって出かけたが、途中で足がとまる。ひょっとして、自分は素晴らしい青磁を割ったりするような行為をしてしまうのではないかと、ふと想像したとたんに足が前へ出なくなった。
結局、水族館へ行った。大水槽の底にまるで置物のように沈黙の姿勢をとり続けている高足ガニを見て、なぜか強く心が落ちつく。「いじらしい程、無欲に生きている」生きものが、死と向かい合った人の心を落ちつかせることが分かった。
アメリカの臨床医エリザベス・キューブラー・ロスさんは報告書『死ぬ瞬間』のなかで、末期癌患者の死への歩み方を「否定」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」と教えてくれているが、私はそれほど怒りを爆発させることもなく「取引」(よいことをしたから助かるのではないか)の段階で手術を受けた。
あれから十三年。私は死後十三年と数えることにしているのだが、あのときはなんとも厳しい鉋をかけられたと思っている。生きているかぎり、鉋はかけ続けられるのだろうが、いまのところ、私は向日性の、それほど乱れもなく、しかし、それほど密度のない柾目をもった性根の“木”のようである。