(巻二十七)捨てきれず逃ぐるも出来ず畑を打つ(森屋慶基)

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(巻二十七)捨てきれず逃ぐるも出来ず畑を打つ(森屋慶基)

11月13日金曜日

お天気がよろしいので中川堤まで歩を延ばした。釣り人が10人ほど中川橋のあたりで糸を垂れている。水鳥でも居らんかと双眼鏡を携行したが、何かと思えば川面のゴミだ。何事も詳びらかにすると幻滅する。釣り人も釣って帰って喰うわけではなかろう。

葛飾はかはほりの町川の町(中嶋秀子)

本日は五千七百歩で階段は2回でした。

細君が鶏肉を間違って買ってきたとブツブツ云っている。唐揚げ用を買ったつもりが、骨付きももの水炊き用を買ってしまったらしい。こういう事はしっかりと憶えておこう。もし間違えたときに、君だって云々と抗弁の材料になる。

そう云えば、今日読んだ佐藤愛子氏の随筆

『 「喧嘩人 - 佐藤愛子」日本の名随筆60 愚 から』

に夫婦喧嘩は真面目にやれと書いてあった。

《 五年前に私が別れた亭主というのがこのテの人間であった。大人物なのか鈍感なのか、そのへんの区別がよくわからぬままに別れることになったが、何をいっても何をけしかけても、喧嘩に乗って来なかった。

ある時、彼は三日二晩行方不明になった。何をしていたかといえばマージャンをしていたのである。委[くわ]しい事情ははぶくが、とにかく私は怒り狂った。そして三日目の夜、ヒョコヒョコと帰って来た靴音を聞くや、バケツに風呂の湯を汲んで彼の靴音が近づくのを待ち受けていた。靴音が玄関の前で止った。間髪を入れず私はドアをあけ(玄関の中で水をぶっかけたらあとの掃除がたいへんなので)ザブンとばかりに正面から水をぶっかけた。とたんに彼は何といったとお思いか。

「何だよう!どうしたというんだ」

と間ぬけ声。

「どうしたもこうしたもないわよっ!」

私は叫んで、傍の階段をタ、タ、タ、と駈け上った。彼が一躍、攻勢に出ると思ったからである。ところが彼はゴボゴボと靴を脱ぎ(何しろ靴の中まで水浸しなので)

「いやはや、いやはや」

といいながら上へ上って来たのである。怖るべきことに彼は怒らなかった。怒らぬということは喧嘩を受けて立たなかったということである。

私は罵詈罵倒の限りを尽くしてわめいた。それでも彼は怒らない。

「いやはや、まいった、まいった」

と降参のふりをしているだけである。世の人は彼を大人物だといって褒めそやした。しかしその翌年、この大人物は事業に失敗して破産してしまったのである。

喧嘩をしないということは、人間修業の問題ではなくエネルギーの問題ではないかと私は思う。

「女房ひとり、満足させられないような男が、どうして事業がやれるの!」

と憤っていた奥さんがいる。その人のご主人は事業不振のため性のエネルギー著しく衰えて、奥さんは欲求不満に悶々としながら、倒産の憂目を見たのである。丁度そのとき、時を同じゅうして我が家も倒産したが私の方は、

「夫婦喧嘩も満足に出来ないような男が、どうして事業がやれるの!」

と叫んだのであった。夫婦喧嘩も性行為も、挑まれればいつても受けて立つべきものである。私はそう思う。それが夫婦間のエチケットである。夫婦円満の秘訣はそこにあるのである。 》

夫婦喧嘩が円満の秘訣かどうかは分からないが、声が出ているうちは大丈夫のようだ。我が家はまだ罵声がけたたましく響いている。

そう云えば今朝もやらかした。私のウッカリではあるが、ミカンの鉢に水を遣るところを錯誤して、つまりボケて、殺虫剤をベランダに撒いて業務終了としてしまった。細君は殺虫剤を猛毒扱いにしているので散布後30分はドアを開けない。つまり、いつもとちがう時間に殺虫剤をベランダに散布したものだから、洗濯物干しやら空気の入れ換えが予定からずれ込んだのである。尊厳を傷つける文言を交えて相当文句を言われたが、ボケについては細君もやらかすので此方もカードは持っている。今朝は使わなかったが、イザとなればである。

煮詰まつてゆくは夫婦の愛・憎・無視(筑紫磐井)

願い事ー叶えてください。