「びっくり箱 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

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「びっくり箱 - 荒川洋治」忘れられる過去 から

「狭き門」「贋金つかい」の文豪アンドレ・ジイド(一八六九-一九五一)が亡くなって一〇年後、批評家ボワデーフルは書いた。ジイドは忘れられた、「煉獄にはいった」と。
没後一〇年で、母国で、母国フランスで、ジイドはこんなことを、いわれてしまったのだ。直後(一九五八)からはじまるヌーヴェル・ヴァーグ、そしてヌーヴォー・ロマンという新芸術の蔭に、ジイドは消えた。いまジイドを読む人は少ない(はず)。いっぽうでチェーホフドストエフスキーカフカプルーストジョイスなどは死後ますます評価を高める。
忘れられることにも、残ることにも理由があるだろう。日本を例にとって、そのあたりを見つめてみたい。どうして消えるのか、忘れられるのか。
①生前文壇で勢力をもちすぎ、没後急速に敬遠される。→佐藤春夫横光利一(ただし近年は再評価のきざし)など。
②その生き方や文学がいまひとつ明確ではなかった。あるいは徹底しなかった→有島武郎など。ちなみに佐藤春夫はここにも、はいるかも。
③国民的人気を誇ったが、芝居・映画化でイメージが固定。→山本有三船橋聖一、火野葦平尾崎士郎壷井栄石川達三など。映画を見れば済むので、読者はその人の文章を読まなくなるのである。特に映画は文学にとって危険なものだ。
④社会の変化に合わなくなった。→宮本百合子平林たい子野間宏高橋和巳など。荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書・二〇〇〇)を読むと、小林多喜二平林たい子は、あるいは岩藤雪夫などはこれから読まれるべき人なのかとも思う。
⑤国際的な作家として名声をかちえたあと、筆がゆるんだ→安部公房
⑥「時代」を次々に突き抜けるほどの、強い個性や魅力がなかった。
この⑥のケースがいちばん一般的であるように思う。次に来る「同種・同傾向の作家」の文学世界に「吸収」されて印象を弱めていくのだ。
西欧風の青春文学で一世を風靡した堀辰雄は、戦後日本の「新風俗」を下敷きにした石坂洋次郎の作品世界に「のまれて」しまう。ところが石坂洋次郎も、石原慎太郎五木寛之などにそのあとのまれてしまう。
時代小説では、山岡荘八吉川英治大佛次郎がより繊細な「大衆性」をひめた山本周五郎にのまれて消えていく。
サラリーマン小説では源氏鶏太がいっとき永遠の生命をもつかと思われたが、新しいサラリーマン像を描く山口瞳に、さらに山口瞳は人生哲学的なひろがりをもつ城山三郎に、とってかわられる。歴史物の井上靖の人気はいまは、いっそう明確で柔軟性のある歴史観をもつ司馬遼太郎に、あるいは「文章」をもつ、吉村昭に吸収されているようす。

知的な青年の苦悩を描く、椎名麟三田宮虎彦などは、高橋和巳倉橋由美子と交替した。その彼らは「軽い時代」の到来により、一九八〇年代には村上春樹に完全に吸収される。知的なものにすがりついて悩む青年そのものが滅亡したのだから仕方がない。いまの世の中は「おとな」ばかり。知的な青年どころか、青年そのものが存在しないのかも。
女性作家の変動もはげしい。岡本かの子円地文子、中里恒子、有吉佐和子らは「よりはっきりした」ことばをもつ宇野千代に吸収される。与謝野晶子林芙美子らはまだ強烈な個性に訴え「健在」である。
教養が高すぎて、引き継ぐ人がいなくなった幸田露伴(露伴に責任はない!)、きまじめに大作を書き続けたが、話題にするとき、とっかかりがない大家(島崎藤村徳田秋声など)も、忘れられたわけではないが、読む人はひところよりへった。
いっぽう残る作家はどうか。漱石、鴎外は別格とすると太宰治三島由紀夫だろうか。二人のパーソナリティは強烈。評価温度が変わらないのは二葉亭四迷国木田独歩芥川龍之介梶井基次郎など。彼らは他の人にはないものをもっているということなのだろう。とわに。いつまでも。
消えた人がふたたび、よみがえることはあるのだろうか。
ひとつのジャンルそのものが生き返ることがある。寺田寅彦は昭和のはじめ、「一国の『文化』が高まり、個人の教養が深くなるにつれて、文学は随筆の形式をとるようになる、あるいはもっと精確にいえば、随筆が文学のあるかなり重要な領域を占めるようになる」と述べた(『中谷宇吉郎集』第一巻「文化史上の寺田寅彦先生」)。その予言はみごとに当たった。「個人の教養」が深くなったためかどうかはともかく(その反対だろうが)、現代はごらんのように「エッセイの時代」になった。寺田寅彦、内田百ケン、幸田文らの文章の「復活」は印象的である。
個人では、木山捷平が近年復活した。亡くなって三〇年近くたったところで、その文学は静かに身を起こしたのだ。講談社文芸文庫の作品集も九冊になった。生前は「私小説」の人とみられたが、三島由紀夫は(「私小説」とはまったく反対側の人なのに)、木山という作家はちょっとちがうのではないかなと、当時微妙な発言をしている。三島は木山に何かを感じたのだ。残る人は、残る人を知る人なのか。
もうひとりは、さきごろ未知谷から全三巻の全集が出た「第三の新人」の一人、結城信一であろう。いつもひとりで銀座の茶房にあらわれ「濃くて、熱い珈琲」をしずかに味わう場面が、その小説には多い。主観に徹した純乎たる文学世界は一年に一人、二年に五人というように少しずつ読者の数を加えた。まだいる。北ボルネオを描く『河の民』(中公文庫)などで知られる里村欣三(大空社から全一二巻の著作集が出た)。没後七〇年、初の全集が企画された大正期の文士藤沢清造(四十二歳の冬、芝公園内で凍死しているのが発見された)。長編「根津権現裏」(一九二二)を当時の批評家たちはこぞって讃えたが、あまりに深刻な内容なので、褒めた人たちも、この長編を読み通していないといわれた。文学全集の片隅にもはいらなかった作家が、突然、全集だからおどろく。「びっくり箱」だ。本人もびっくりだろう。これが文学のおもしろさ、楽しさなのだ。消えた人にも夢がある。