3/4「水・渡船 - 永井荷風」岩波文庫 荷風随筆集(上)

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3/4「水・渡船 - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上)

以上河流[かりゅう]と運河の外なお東京の水の美にに関しては処々の下水が落合って次第に川の如き流れをなす溝川[みぞかわ]の光景を尋ねて見なければならない。東京の溝川には折々可笑しいほど事実と相違した美しい名がつけられてある。例えば芝愛宕下なる青松寺[せいしようじ]の前を流れる下水を昔から桜川と呼びまた今日では全く埋尽された神田鍛冶町の下水を逢初川[あいぞめがわ]、橋場総泉寺[はしばそうせんじ]の裏手から真崎[まつさき]へ出る溝川を思川[おもいがわ]、また小石川金剛寺坂下の下水を人参川[にんじんがわ]と呼ぶ類[たぐい]である。江戸時代にあってはこれらの溝川も寺院の門前や大名屋敷の塀外[へいそと]なぞ、幾分か人の目につく場所を流れていたような事から、土地の人にはその名の示すが如き特殊の感情を与えたものかも知れない。しかし今日の東京になっては下水を呼んで川となすことすら既に滑稽なほど大袈裟である。かくの如くその名とその実との相伴わざる事は独り下水の流れのみには留まらない。江戸時代とまたその以前からの伝説を継承した東京市中各処の地名には少しく低い土地には千仭[せんじん]の幽谷を見るように地獄谷(麹町にあり)千日谷(四谷鮫ケ橋にあり)我善坊ケ谷(麻布にあり)なぞという名がつけられ、また少しく小高い処は直ちに峨々[がが]たる山岳の如く、愛宕山道灌山待乳山なぞと呼ばれている。島なき場所も柳島三河島向島なぞと呼ばれ、森なき処にも烏森、鷺の森の如き名称が残されてある。始めて東京へ出て来た地方の人は、電車の乗換場を間違えたり市中の道に迷ったりした腹立まぎれ、かかる地名の虚偽を以てこれまた都会の憎むべて悪風として観察するかも知れない。

 

溝川は元より下水に過ぎない。『紫[むらさき]の一本[ひともと]』にも芝の宇田川を説く条[くだり]に、「溜池の屋鋪の下水落ちて愛宕の下より増上寺の裏門を流れてここに落[おつ]る。愛宕の下、屋敷々々の下水も落ち込む故宇田川橋にては少しの川のやうに見ゆれども水上[みなかみ]はかくの如し。」とある通り、昔から江戸の市中には下水の落合って川をなすものが少なくなかった。下水の落合って川となった流れは道に沿い坂の麓を廻[めぐ]り流れ流れて行く中[うち]に段々広くなって、天然の河流または海に落込むあたりになるとどうやらこうやら伝馬船を通わせる位になる。麻布の古川は芝山内の裏手近くその名も赤羽川と名付けられるようになると、山内の樹木と五重塔の聳[そび]ゆる麓を巡って舟しゆう[難漢字]の便を与うるのみか、紅葉の頃は四条派の絵にあるような景色を見せる。王子の音無川も三河島の野を潤したその末は山谷堀となって同じく舟をうかべる。
下水と溝川はその上に架[かか]った汚い木橋や、崩れた寺の塀、枯れかかった生垣、または貧しい人家の様と相対して、しばしば憂鬱なる裏町の光景を組織する。即ち小石川柳町の小流[こながれ]の如き、本郷なる本妙寺坂下の溝川の如き、団子坂下から根津に通ずる藍染川[あいそめがわ]の如き、かかる溝川流るる裏町は大雨[たいう]の降る折といえば必ず雨よう[難漢字]の氾濫に災害を被る処である。溝川が貧民窟に調和する光景の中[うち]、その最も悲惨なる一例を挙げれば麻布の古川橋から三之橋に至る間の川筋であろう。ぶりき板の破片の破片や腐った屋根板で葺[ふ]いたあばら家は数町に渡って、左右から濁水を挟[さしはさ]んで互にその傾いた廂[ひさし]を向い合せている。春秋[はるあき]時候の変り目に降りつづく大雨の度[たび]ごとに、芝と麻布の高台から滝のように落ちてくる濁水は忽ち両岸を氾濫して、あばら家の腐った土台からやがては破れた畳まで浸[ひた]してしまう。雨がハ[難漢字]れると水に濡れた家具や夜具蒲団を初め、何とも知れぬ汚らしい襤褸[ぼろ]の数々は旗か幟[のぼり]のように両岸の屋根や窓の上に曝[さら]し出される。そして真黒な裸体の男や、腰巻一つの汚い女房や、または子供を背負ったら児娘[こむすめ]までが笊[ざる]や籠や桶を持って濁流の中[うち]に入りつ乱れつ富裕な屋敷の池から流れて来る雑魚を捕えようと急[あせ]っている有様、通りがかりの橋の上から眺めやると、雨あがりの晴れた空と日光の下[もと]に、或時はかえって一種の壮観を呈していることがある。かかる場合に看取せられる壮観は、丁度軍隊の整列もしくは舞台における並大名[ならびだいみよう]を見る時と同様で一つ一つに離して見れば極めて平凡なものも集合して一団をなす時には、此処[ここ]に思いがけない美麗と威厳とが形造られる。古川橋から眺める大雨の後の貧家の光景の如きもやはりこの一例であろう。