4/4「水・渡船 - 永井荷風」岩波文庫 荷風随筆集(上)

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4/4「水・渡船 - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上)

江戸城の濠はけだし水の美の冠たるもの。しかしこの事は叙述の筆を以てするよりもむしろ絵画の技[ぎ]を以てするに如[し]くはない。それ故私は唯代官町の蓮池御門、三宅坂下の桜田御門、九段坂下の牛ヶ渕等古来人の称美する場所の名を挙げるに留めて置く。
池には古来より不忍池の勝景ある事これも今更説く必要がない。私は毎年の秋竹の台に開かれる絵画展覧会を見ての帰り道、いつも市気[しき]満々たる出品の絵画よりも、向ケ丘の夕陽敗荷[せきようはいか]の池に反映する天然の絵画に対して杖を留[とど]むるを常とした。そして現代美術の品評よりも独り離れて自然の画趣に恍惚とする方が遥に平和幸福である事を知るのである。
不忍池は今日市中に残された池の中[うち]の最後のものである。江戸の名所に数えられた鏡ケ池や姥ケ池は今更尋る由[よし]もない。浅草寺境内の弁天山の池も既に町家[まちや]となり、また赤坂の溜池も跡方なく埋[うず]めつくされた。それによって私は将来不忍池もまた同様の運命に陥りはせぬかと危[あやぶ]むのである。老樹鬱蒼として生茂[おいしげ]る山王の勝地[しようち]は、その翠緑[すいりよく]を反映せしむべき麓の溜池あって初めて完全なる山水の妙趣を示すのである。もし上野の山より不忍池の水を奪ってしまったなら、それはあたかも両腕をもぎ取られた人形に等しいものとなるであろう。都会は繁華となるに従って益々自然の地勢から生ずる風景の美を大切に保護せねばならぬ。都会における自然の風景はその都市に対して金力を以て造る事の出来ぬ威厳と品格とを帯びさせるものである。巴里にも倫塔にもあんな大きな、そしてあのような香[かんば]しい蓮の花の咲く池は見られまい。

 

都会の水に関して最後に渡船の事を一言[いちごん]したい。渡船は東京の都市が漸次[ぜんじ]整理されて行くにつれて、即ち橋梁の便宜を得るに従ってやがては廃絶すべきものであろう。江戸時代に遡[さかのぼ]ってこれを見れば元禄九年に永代橋が懸[かか]って、大渡[おおわた]しと呼ばれた大川口[おおかわぐち]の渡場[わたしば]は『江戸鹿子[えどかのこ]』や『江戸爵[えどすずめ]』などの古書にその跡を残すばかりとなった。それと同じように御厩河岸[おうまやがし]の渡し鎧[よろい]の渡を始めとして市中諸所の渡場は、明治の初年架橋工事の竣成[しゆんせい]と共にいずれも跡を絶ち今はただ浮世絵によって当時の光景を窺うばかりである。
しかし渡場はいまだ悉[ことごと]く東京市中からその跡を絶ったわけではない。両国橋を間にしてその川上に富士見の渡、その川下に安宅の渡が残っている。月島の埋立工事が出来上ると共に、築地の海岸からは新に曳船[ひきふね]の渡しが出来た。向島には人の知る竹屋の渡しがあり、橋場には橋場の渡しがある。本所の堅川[たてかわ]、深川の小名木川辺の川筋には荷足船[にたりぶね]で人を渡す小さな渡場が幾個所もある。
鉄道の便宜は近世に生れたわれわれの感情から全く羈旅[きりょ]とよぶ純朴なる悲哀の詩情をを奪去った如く、橋梁はまた遠からず近世の都市より渡船なる古めかしい緩[ゆるや]かな情趣を取除いてしまうであろう。今日世界の都会中渡船なる古雅の趣を保存している処は日本の東京のみではあるまいか。米国の都市には汽車を渡す大仕掛けの渡船があるけれど、竹屋の渡しの如く、河水[かわみず]に洗出[あらいだ]された木目の美しい木造りの船、樫の艪、竹の棹を以てする絵の如き渡船はない。私は向島の三囲[みめぐり]や白髯[しらひげ]に新しく橋梁の出来る事を決して悲しむ者ではない。私は唯両国橋の有無にかかわらずその上下に今なお渡場が残されてある如く隅田川その他の川筋にいつまでも昔のままの渡船のあらん事を希[こいねが]うのである。
橋を渡る時欄干の左右からひろびろした水の流れを見る事を喜ぶものは、更に岸を下って水上に浮び鴎と共にゆるやかな波に揺られつつ向[むこう]の岸に達する渡船の愉快を容易に了解する事が出来るであろう。都会の大道には橋梁の便あって、自由に車を通ずるにかかわらず、殊更[ことさら]岸に立って渡船を待つ心は、丁度表通に立派なアスファルト敷の道路あるにかかわらず、好んで横町や路地の間道[かんどう]を抜けて見る面白さとやや似たものであろう。渡船は自動車や電車に乗って馳[は]せ廻る東京市民の公生涯[こうしょうがい]とは多くの関係を持たない。しかし渡船は時間の消費をいとわず重い風呂敷包みなぞを背負ってテクテクと市中を歩いている者どもには大[だい]なる休息を与え、またわれらの如き閑散なる遊歩者に向っては近代の生活に味[あじわ]われない官覚の慰安を覚えさせる。
木で造った渡船と年老いた船頭とは現在並びに将来の東京に対して最も尊い骨董の一つである。古樹と寺院と城壁と同じくあくまで保存せしむべき都市の宝物である。都市は個人の住宅と同じくその時代の生活に適当せしむべく常に改築の要あるは勿論のことである。しかしわれわれは人の家を訪[と]うた時、座敷の床の間にその家伝来の書画を見れば何となく奥床[おくゆか]しく自[おのずか]ら主人に対して敬意を深くする。都会もその活動的ならざる他[た]の一面において極力伝来の古蹟を保存し以てその品位を保たしめねばならぬ。この点よりして渡船の如きは独りわれら一個の偏狭なる退歩趣味からのみこれを論ずべきものではあるまい。