「刑法演習-大麻密輸事件-CDと未遂・既遂について - 名古屋大学齊藤彰子教授」法学教室10月号

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「刑法演習-大麻密輸事件-CDと未遂・既遂について - 名古屋大学齊藤彰子教授」法学教室10月号

設問
1 甲は、輸入禁制品である大麻(関税109条1項・69条の11第1項1号)を密輸入しようと企て、フィリピン共和国マニラ市内から、大麻約5kgを隠匿した航空貨物(以下「本件貨物」という)を自己が経営する東京都内の居酒屋宛てに発送した。
2 7月21日、本件貨物が成田国際空港に到着した後、情を知らない通関業者Qが輸入申告をし、同月24日税関検査が行われ、その結果大麻の隠匿が判明したことから、成田税関支署、千葉県警察本部生活安全部保安課および成田国際空港警察署の協議により、国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等を防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(いわゆる「麻薬特例法」)4条等に基づいて、コントロールド・デリバリー(以下「CD」と略す)が実施されることとなった。同月27日午前に税関長の輸入許可がなされ、その後、配送業者Wが、捜査当局から本件貨物に大麻が隠匿されていることを知らされ、CDによる捜査への協力要請を受けてこれを承諾し、捜査当局の監視下において本件貨物を保税地域から引き取ったうえ、捜査当局との間で配達の日時を打ち合わせ、甲が本件貨物を受領すれば直ちに逮捕する体制が整った後、本件貨物を甲に配達した。
3 関税法2条1号によれば、同法にいう「輸入」とは、「外国から本邦に到着した貨物......又は輸出の許可を受けた貨物を本邦に(保税地域を経由するものについては、保税地域を経て本邦に)引き取ること」をいい、同法違反の禁制品輸入罪は、本件のように宅配の方法による場合、犯人の委託を受けた業者が保税地域から貨物を引き取った時点(いわゆる「通関線の突破」)で既遂に達する(平野龍一ほか編『注解特別刑法補巻(3)』(青林書院、1996年)21頁[植村立郎])。

 

POINT
間接正犯の事例において、被利用者が途中で情を知るに至ったが自己の意思で犯行を継続した場合、被利用者は(途中から)犯罪に該当する事実を認識しつつ自らの意思で行為している以上、同人は利用者の道具とはいえないとか、利用者は既遂結果発生に至る事象を支配しているとはいえないとして、被利用者が実現した既遂結果について、利用者は(間接)正犯としての罪責を負わないとされるのが一般的である。もっとも、「道具」や「事象の支配」というのは比喩的な表現にすぎず、間接正犯を認めた裁判例の事案も一様ではない。直接手を下していない者を直接正犯と同じように処罰することを正当化する(あるいは否定する)根拠を、事案に即して、具体的に示さなければ、説得的な論述とならない。

 

解説
①前提問題
捜査機関の介入がなければ未遂に終わっていたはずの密輸入事件において、捜査の必要から貨物を通関させた場合に、(その結論を具体的な犯罪成立要件の解釈として理論的にどのように説明するかはともかく)被告人に既遂犯としての罪責を問うのが妥当か否かについて、そもそも評価が分かれうるであろう。
保税地域において大麻の存在が発覚した以上、本来であれば税関長は輸入を許可してはならず(輸入禁制品の存在を認識しつつ輸入を許可すれば、それ自体が犯罪を構成しうる)、それゆえ、被告人には未遂犯が成立するにとどまることになっていたはずである。にもかかわらず捜査の必要から通関させたうえで、被告人に既遂犯としての罪責を問うというやり方には不公平感が否めないというのが、筆者自身の率直な感覚である。
これに対して、まさに被告人が薬物を輸入しようと企てた結果として捜査の必要性が生じたのであって、自らがその必要性を作り出した捜査機関の介入を理由に、現に生じている禁制品の通関線突破という結果について問責しないのは不当であるし、CDが行われた場合に未遂犯しか成立しないというのでは捜査機関がその実施を躊躇するおそれがあるとの主張もなされている(島田聡一郎・ジュリ1163号156-157頁)。

②既遂結果の発生
仮に未遂犯の成立にとどめるべきと考える場合、その結論を導く理論構成として、①既遂犯の成立に必要な結果(危険性)の発生を否定するか、あるいは、②①は肯定したうえで、行為との因果関係を否定するかのいずれかが考えられる。
まず①に関しては、形式的には大麻が通関線を突破しているものの、捜査当局による厳重な監視下にあったことから(麻薬特4条1項参照)、実質的に既遂と評価すべき事態の発生、すなわち、貨物がいわゆる自由流通の状態に移ったとはいえないと考えることも十分可能であろう。
これに対し、麻薬特例法4条1項1号が、その括弧書きにおいて、CDが行われる際に税関長が行う輸入許可の効果は貨物に隠匿されている規制薬物には及ばないと既定していることを理由に、貨物の通関線突破をもって形式的に既遂を認める見解(古田佑紀=齊藤勲編『大コメンタール薬物五法1』〔青林書院、1994年〕「麻薬特例法」21ー22頁[古田])、あるいは、貨物が捜査当局の監視下にあったとしても、「場合によっては......散逸し、犯人によって処分されたり使用されたりすることもないとはいえない」といった実質的な(抽象的)危険性の存在を理由に既遂を認めた裁判例もある(千葉地判平成8・3・5刑集51巻9号832頁)。

③因果関係
既遂結果の発生を否定できないとしても、甲の行為が行われてから結果の発生までに、CDの実施という甲が想定していなかった事情が介在していることから、両者の間の因果関係が否定されないか。「捜査機関から協力を要請された配送業者は、すでに被告人のためではなしに捜査機関のために当該貨物を配送するものであって、......それはあたかも、AがBにむけて矢を放ったが、Cがそれを途中で遮り、改めてBに向けて矢をつがえなおしたのと同様に、結果としては当初被告人の意図するところと同一の結果が発生したものではあっても、もはや被告人が設定した因果経過とは異なる」として、因果関係を否定する見解がある(齊野彦弥・平成9年度重判解157頁)。しかし、CDは甲が大麻の輸入を企てた結果としてその捜査のために行われることとなったことからすれば、(論者が類比のために挙げている事例とはことなり)甲の行為と介在事情との間に関連性が認められ、因果関係を否定することは難しいように思われる(本演習4月号〔475号〕参照)。

④正犯性
既遂結果の発生、および、それと甲の行為との因果関係を認められるとしても、大麻の通関線突破という既遂結果は、直接的には、Wによる本件貨物の保税地域からの引取りによって発生している。加えて、このWの行為は、法律上認められたCDの一環をなすものであるから、適法である。そうすると、今日一般に、狭義の共犯の成立には、正犯の行為が構成要件該当性と違法性を具備することが必要と解されていることから、大麻の通関線突破について甲の罪責を問うためには、同人につき正犯性が認められることが必要となる。
甲は、Wが大麻の存在に気づいたうえで保税地域からの引取り、配達を行う(可能性がある)ことを認識しておらず、他方で、Wは捜査当局の要請に従って行動したのであるから、両者の間に共同で大麻を輸入することについての意思連絡を認める余地はない。それゆえ、単独正犯の可能性を検討することとなる。裁判例において、直接手を下していない者が正犯とされた事例として、①是非弁別能力のない者を利用した場合、②情を知らない者を利用した場合、③適法行為を利用した場合、④被利用者の意思が抑圧されていた場合などがある。

これらのうち④については、裁判例においても、たとえば被利用者の年齢、被利用者と利用者との関係、命じられた犯罪の種類や行為の内容などによって、意思抑圧を認めるのに必要とされた強制の程度に違いがあり(小池信太郎・法教473号95ー98頁)、具体的事例において意思の抑圧が認められるかどうかの判断は必ずしも容易ではないものの、利用者が被利用者の意思を抑圧して、「自己の意のままに従わせていた」(最決昭和58・9・21刑集37巻7号1070頁)、あるいは、命じられた行為「以外の行為を選択することができない精神状態に陷らせていた」(最決平成16・1・20刑集58巻1号1頁)と認められる場合には、まさに利用者こそ犯罪事実を実現した中心人物といえ、自ら直接手を下したのと違いはないとすることに問題はないであろう。 
これに対して、①~③においては、被利用者は、構成要件に該当する行為を行うことにつき規範的障害はないものの、④とは異なり、当該行為以外の行為を選択できない状態にあったわけでは必ずしもない。被利用者に意思能力すら認められない場合、あるいは、当該行為に出ざるをえない緊急状態にあった場合を除き、被利用者は自らの意思に基づいて行為を行っているのである。にもかかわらず、構成要件に該当する行為を自らの意思に基づいて行った被利用者ではなくて、利用者こそが正犯である、犯罪事実実現の中心人物であるといえる理由を、具体的事実に即して示す必要があろう。

まず、情を知らないQが行った輸入申告(遅くともこの時点で禁制品輸入罪の着手が認められる)については、Qの道具性すなわち甲の正犯性を基礎づけるのは、Qの行為が甲との契約に基づく業務の遂行として行われたという点である(最決平成9・10・30刑集51巻9号816頁)。すなわち、貨物の国際輸送サービスを提供する事業者は、サービス利用の申込みを受けて貨物の輸出入に必要な手続や貨物の輸送等を申込者に代わって行うことを業としているのであるから、申込みがあれば、当該貨物の輸出入が法に触れる等の事情がない限り、ほぼ確実にサービスを提供することになるのであって、Qはそのようなサービス提供の一環として、本件貨物の輸入申告をいわば機械的に行っているという点が重要である。
一般化していえば、②について、被利用者が情を知らないことは、利用者の正犯性を肯定する必要条件ではあるが十分条件ではなく、被利用者が、利用者の真の意図に気づかない限り、その指示通りに行動するのは必定といえるような事情が加わってはじめて、まさに利用者が情を知らない被利用者を意のままに操り犯罪事実実現したのであって、それゆえ、利用者こそが犯罪事実実現の中心人物であるといえるのである。
前出最決平成9・10・30は、Wによる本件貨物の引取りおよび配達についても、「被告人らからの依頼に基づく運送契約上の義務の履行としての性格を失」わないとして、その道具性を肯定した。しかし、同決定に付された遠藤光男裁判官の意見において述べられているように、捜査当局の要請がなくても、大麻の存在を知ったWが本件貨物の引取り、配達を行ったとは考えられず、それゆえ、捜査当局の要請、監視の下で行われたWの行為は、もはや甲の依頼に基づいて機械的に行われた業務の遂行とはいえないであろう。
そこで、③に当たるとして甲の正犯性を肯定することが考えられる(島田・前掲157頁)。もっとも、甲がWの行為が正当化される状況を作り出したのだとしても、通関手続において規制薬物が発見されても常にCDが実施されるとは限らないのだとすれば、Wの適法行為が行われるどうかを決定づけているのは甲ではなく、CDを実施する側ということになる。にもかかわらず、CD開始後における大麻の通関線突破について、甲がWを意のままに操った結果であると評価するのは困難であるように思われる。

ステップアップ
最決平成9・10・30の理屈によれば、保税地域から貨物を引き取り、配達したのが配送業者に扮した捜査官であった場合、甲の正犯性の判断は違ってくるか。