「ほんのりと匂うもの - 岡井隆」ベスト・エッセイ2006から

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「ほんのりと匂うもの - 岡井隆」ベスト・エッセイ2006から

死を歌った歌としては、斎藤茂吉の、

暁[あかつき]の薄明に死をおもふこともあり除外例なき死といへるもの

がしばしば話題になる。読者の共感しているのは「除外例なき(例外なくすべての人に訪れる運命だということ)」というところだろうが、「除外例」という耳なれない漢語(森鴎外ゆずりだときいた)の響きのせいもあるだろう。むろん、暁のうすくらがりの中に目覚めていて、自分自身の死をおもうという体験が、読者の側にもあるということにもよろう。

これは、六十八歳の時の歌である。疎開先の山形県で湿性肋膜炎や脳梗塞をやって、そこから回復して帰京してからの作品だということも頭に入れて読むと、病後の人の感想だとも思える。つまり、病中にもしばしば死の危険にあった人が、ここへ来てふっと「おもふ」ことがあったというのである。
病中は、死を感ずることはしばしばあったが、ここへ来て「死をおもふ」境地に至ったともいえる。ある種の余裕が生まれたともいえる。「除外例なき死」なんてことはあたりまえではないかともいえるし、率直に言わせていただければ、六十台の人の感想かとめ思える。幸いなことに、茂吉は七十台の人生を知らず歌わなかった。七十台も後半に入って数年になるわたしは、自然にそんなふうにおもって、この名歌に対する。
死はいまや常住坐臥[じょうじゅうざが]のうちに感じられる、なんてわかったようなことをいうつもりはないが、自分の歌の中にも、文章の中にも、ほんのりと死が匂って来ているのはたしかだ。これはあくまで自然に、わたしの予想をこえて、しのび込んで来ている感覚的なもので、「おもふ」対象ではない。
わたしは、今のところ大きな疾患をかかえてはいないが、それなのに、毎月いくつか作る歌の中には、死が匂うのである。よく「老いの歌」などということで議論している歌人がある。たしかに高年者の歌はふえているから、そういう話題も欠かせないだろうが、大ていは、米寿になった、傘寿まであと何年になった等々という年齢の歌である。むしろ「死」の匂いといった角度から、捉えた方が正確になるのではないかとおもうがどうだろう。老いは個人差が大きく、それこそ「除外例」だらけである。その点、死は例外がない。別段、不吉な話ではない。さきの例でいえば七十台を実質上は経験しなかった茂吉は、羨ましいともいえるのである。

田村隆一の詩に、「どんな死も中断にすぎない」とあって感銘したことがある。死は、一生の事業の完遂または完成とおもわれ勝ちだが、実は「中断」なのである。やりかけで終わって残り惜しいというのではない。中断された事業(生涯または作品)の、その断面の美しさというものもある。「中断」として「死」を捉えた詩人にとって、死は、誰にとっても、やりつつある事業や、書きつつある作品を「中断」させる、いやな奴とおもわれていたのだろうか、いや、そんなことはあるまい。大体、完成とか完遂なんてことは、あるはずがないのである。
むろん、人にとって見えるのは、他人の死だけである。幸いに自分自身の死は、見ることができない。死は、ぱったりと出会うのであって、それをじっくり見るわけにはいかないのだ。他人からは「中断」だと見えるだろうが、自分にとっては、未遂、未完の未練としてのこるだろう。もっとも、未練といったって、若いころのような烈[はげ]しさはなく、しずかな諦念を底にはらんでいる。
昨年一年だけでも、島田修二や春日井建といった長年の友人や知人が、幾人となく亡くなっている。かれらの死は「中断」だったかどうかは別として、突然断たれた人生という感想は、湧くのであった。しかし、今までのこの人たちの作品の流れを見ていると、おのずから完結しているという思いもしてくるのであった。「中断」と完成とは、あるいは、人の生の盾のおもてと裏なのかもしれなかった。
ところで、茂吉の晩年の歌で死の匂い(ある意味で、いい匂いである)のする歌はないかといえば、それはある。

人知れず老いたるかなや夜をこめてわが臀[いさらい]も冷ゆるこのごろ

わが色欲[しきよく]いまだ微[かす]かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり

あとの歌は有名な一首だが「残る」ところに力点をおいてはならない。「微かに」なってしまったという嘆きなのである。まえの歌は臀部[でんぶ]の冷えを、深夜から暁にかけて気にかけている。かすかに死が匂う歌だ。