4/4「「老い」の見立て - 川本三郎」岩波現代文庫 荷風と東京(上) から

 

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4/4「「老い」の見立て - 川本三郎岩波現代文庫 荷風と東京(上) から

荷風の老人趣味は、庭いじりだけではなく、日常のさまざまなところに見ることが出来る。たとえば荷風は原稿を筆で書いた。従って硯や墨を大事にした。
昭和三年二月十五日、「空澄みわたりて日の光いよいよ春めきたり、過日高木氏の贈り来りし古梅園[こばいえん]献上の古墨をス[難漢字]り試む、光沢漆の如く筆の穂ねばらず、誠に好き墨なり」
また、毎年、正月に亡き父を偲んで、父親が大事にした硯をきれいに洗うことを一年のはじめの儀式のようにしていた。筆、墨、硯を愛する「文房清玩」の精神である。今東光の青春回想録『十二階崩壊』(中央公論社、昭和五十三年)によると、荷風は書き損った原稿用紙の反古[ほご]をこまかく切って観世縒[かんぜおり]を拵[こしら]えて、出来上がった原稿を綴じるのに使用したともいう。
大正六年九月十七日、「燈下反古紙にて箱を張る」
大正八年三月二十六日、「築地に蟄居[ちっきょ]してより筆意の如くならず、無聊[ぶりよう]甚し。此日糊を煮て枕屏風に鴎外先生及漱石翁の書簡を張りて娯しむ」
大正八年十一月二十八日、「燈下臙脂[えんじ]を煮て原稾用罫紙を摺る」
大正十四年一月二十ニ日、「戯に石印ニ三?を篆刻[てんこく]す」
偏奇館の書斎で夜一人、不用の紙で手箱を作ったり、原稿用紙の罫線を版木で刷っている。鴎外や漱石からもらった手紙を屏風にあしらう。印材篆刻をする。青木玉は『小石川の家』(講談社、一九九四年)のなかで、祖父幸田露伴が机の上にいつも糊壺を置き、封筒の口やら小さな繕いなど手まめに使っていた、また和綴の本の繕いには生麩ののりを煮たり、小麦粉やら葛粉を合せて気に入った糊を自分で作ったと思い出を語ったあと、露伴のこんな言葉を紹介している。「経師[きようじ]、表装などは男の嗜[たしな]み」
荷風もまたこの文人趣味を持っていた。後年、「濹東綺譚」を書き上げたときは、自ら装幀した私家版も作っている。「濹東綺譚」の「わたくし」は日本堤の古本屋で偶然会った男から女の胴抜きの長襦袢を買っている。長襦袢などを何にするのか。「浮世絵肉筆物の表装とか、近頃はやる手文庫の中張りとか、又草双紙の帙[ちつ]などに用いたら案外いいかも知れないと思つた」から。これめ文人趣味である。
また随筆「几辺[きへん]の記」(大正十三年)では、どぞうから見つけてきた古い小机、セントルイスの万国博で買い求めたスフィンクスの置物、市川左団次から贈られた墨斗(矢立て)など日頃愛玩しているものを愛情こめて紹介している。そして、こんな随筆を書いたのは、「文人墨客平生その愛玩する所の几辺座右の器物を把つて、これが記をつくりしもの、吾邦古人の集には多くこれを見る」からそれに倣ったという。

荷風と親交のあった堀口大学の語っているところによると、荷風は女性に封書を出すときには細身の封筒を自らこしらえ、それを使った。さらに海外にいる堀口大学に手紙を書くときは、宛て名はやはり手ずからこしらえたインクを使い毛筆で書いた。
「その赤黒インクは、くちなしの実をすり潰した汁でつくったものですって。そういうところまで(荷風先生は)風流をお楽しみになるのだね」(関容子『日本の鶯 堀口大学聞書き』角川書店昭和五十五年)
「日乗」大正十三年四月二十四日にある「生薬屋にて偶然梔子[くちなし]の実を購得たり」の「梔子」とはこのインクのためだったかと納得する。
荷風はまた「展墓癖」と呼ばれるほど墓参趣味があった。墓参りが好きなのである。のちに詳しく書くが「断腸亭日乗」には、実によく墓参りの記述がある。荷風の父は、大正二年の一月二日に亡くなっている。従って、荷風は毎年、命日には雑司ケ谷の父の墓へ、墓参に出かける。それは一年のはじまりの儀式である。
大正七年一月二日、「臘梅の花を裁り、雑司谷に往き、先考の墓前に供ふ」
大正十一年一月二日、「タキシ自働車を雑司ケ谷墓地に走らせ先考の墓を拝す」
大正十五年一月一日、「昼餔[ちゆうほ]の後、霊南坂下より自働車を買ひ雑司ケ谷墓地に往き先考の墓を拝す」
こういう記述が実に多い。父親の墓への墓参だけではない。荷風は、大正十一年に、師とした森鴎外が死去して以来、命日(七月九日)になると、向島弘福寺の鴎外の墓に行く。それだけではない。一面識もなかった故人の鶴屋南北小泉八雲大田南畝らの墓へも出かけている。墓地と墓が作る静かな雰囲気が好きだったのである。これもまた老人趣味に数えることが出来るだろう。
自分の好きな人々、尊敬する人々はすでにみんな故人となった。その故人と会話するかのように荷風は墓地に出かけて行く。そのぶん現実へは背を向ける。現実嫌悪、過去思慕の姿勢である。荷風がまた、敬愛する旧幕臣文人成島柳北の日記を写経のように書き写すのも展墓趣味と同じ過去思慕の姿勢である。
庭いじり、焚き火、曝書、文房清玩、墓参......荷風は、好んでそういう老人くさい日常を作り出していった。現実の荷風はもっと俗人であったろうし、日々の暮しもまたもっと騒がしかったに違いないが、荷風は、「断腸亭日乗」のなかでは、そうした俗気を出来る限り排そうとした。自分を「老人」に見立てることで、世俗ては関わらないですむ理想の隠れ里生活を作り上げてゆこうとした。「断腸亭日乗」はその意味で、日記であると同時にフィクションであるといってもいいだろう。