1/2「第五段階/受容(抜書) - E・キューブラー・ロス、鈴木晶〔訳〕」中公文庫 死ぬ瞬間-死とその過程についてON DEATH AND DYING から

f:id:nprtheeconomistworld:20210107092221j:plain

1/2「第五段階/受容(抜書) - E・キューブラー・ロス鈴木晶〔訳〕」中公文庫 死ぬ瞬間-死とその過程についてON DEATH AND DYING から

W夫人は五十八歳の既婚女性で、腹部の悪性腫瘍のために入院し、激しい痛みと不快感を訴えていた。彼女は勇敢かつ堂々とした態度で重病に立ち向かっていた。ほとんど愚痴めこぼさず、できるだけのことは自分でしようと努めていた。自分で動けるうちは手助けされることを拒み、その明るさと迫り来る死を冷静に見つめる強さに、スタッフも家族も感銘を受けていた。
その最後の入院後まもなく、W夫人は突然に抑鬱状態に陥った。
スタッフはこの変化に困惑し、精神科医の診察を依頼した。私たちが病室に行くと、彼女はそこにはいなかった。数時間後、二度目に訪ねたときにも彼女の姿はなかった。ようやくレントゲン室の前の廊下で見つけたとき、W夫人は不安そうにストレッチャーに横たわり、見るからに苦しそうな様子だった。話を聞くと、二回のX線撮影にかなり長い時間がかかり、また別の写真を撮影するために待たされているところだという。背中がひどく痛み、何時間も食物も飲み物もとれず、何よりつらかったのは、いますぐトイレに行きたいのにそれができないことだった。そういったことを蚊の鳴くような声で語り、自分の状態を「痛みでぼうっとしている」と説明した。「近くのトイレへ連れていってあげましょうか」と言う私を彼女はじっと見つめ、そのとき初めてかすかに笑みを浮かべて「いいえ、裸足ですから、部屋に戻るまで我慢します。部屋のトイレなら自分で行けますから」と答えた。
この短い会話から、患者の求めていることがひとつわかった。W夫人はできる限り自分で自分の始末をし、可能な限り自分の尊厳を保ち、人に頼りたくなかったのである。人前で叫び声を上げたくなるとか、廊下で漏らしそうになるとか、「ただ仕事をこなしているだけ」の見ず知らずの他人の前で泣きわめきたくなるとか、そういった限界まで自分の忍耐力が試されていると憤慨していたのだった。
数日後、もう少しよい状況でW夫人と話をしたが、見るからに衰弱していて、死が近づいているようだった。彼女は子どもたちのことを手短に語り、夫については、自分がいなくなってもなんとかやっていけるだろうと語った。自分の人生、ことに自分の結婚生活は恵まれた有意義なものだったから、やり残したことはほとんどないと強く感じていた。安らかに逝きたい、一人にしてほしいと願い、夫にもあまり来てもらいたくないのだと言った。彼女がまだ死なずにいる唯一の理由は、夫が彼女の死という現実を受け入れられずにいるからだった。妻の死を直視せず、妻がすすんで諦めようとしている生に必死に執着する夫に対して、彼女は憤りを感じていた。彼女の意を汲みとり、私が、この世から離れたいのですねと言うと、彼女はは私の言葉に頷き、感謝するような表情を見せた。そして私は彼女を一人にして部屋を出た。

そのころ、彼女にも私にも内緒で、医療スタッフは彼女の夫と話し合いをもった。外科医はもう一度手術をすれば延命できるかもしれないたと信じ、患者の夫は「時計の針を戻す」ためならできるだけの手を尽くしてほしいと懇願した。妻を亡くすという事実が彼にはどうしても受け入れられないのだった。妻がもう自分といっしょにいたいとは思わないようになったなんて、納得がいかなかった。自由になりたい。安らかに逝きたいという妻の気持ちは、彼にはとても理解できない拒絶と感じられた。そんな彼に、「これは自然な流れで、むしろ進歩であり、死に瀕した人間が安らぎを見出して、一人で死に立ち向かう準備をしているしるしなのです」と説明する者はその場にはいなかった。
外科チームは翌週に手術をすることを決めた。その予定を知らされたW夫人は急激に衰弱していった。ほぼ一夜にして、彼女は鎮痛剤の量を倍にしてほしいと訴え、注射をしてもらったとたんにまた薬を求めるようになった。落ち着きをなくし、不安に震え、頻繁に助けを求めるようになった。スリッパを履いていないからトイレに行けないと言っていた、数日前までの、あの気位の高いレディの面影はほとんど見られなくなった。
このような言動の変化には、たえず注意しなくてはならない。こうした変化は、私たちに何かを伝えようとしている患者からのメッセージである。患者は、必死に懇願する夫や、もう一度母親に家に戻ってほしいと願う子どもたちを目の前にして、延命手術をきっぱり拒否できるとは限らない。そして、ここで強調しておきたいのは、死を前にしても、患者は治るという一縷の望みをいだいていることである。前述したように、いくばくかの希望もいだこうとせず最期を受け入れるというのは人間の自然な姿ではない。したがって、明白な言葉によって患者から伝えられることだけに耳を傾けるのでは十分とは言えない。
W夫人はそっとしておいてほしいという意思をはっきり示していた。手術することを知らされてから、痛みと不安感が増したようだった。手術日が近づくにつれ、不安も増大していった。だが私たちスタッフに手術を中止する権限はない。私たちは強い懸念をもっていることを担当医に伝えるにとどめたが、おそらく患者は手術に耐えられないだろうと感じた。
W夫人に手術を拒否するほどの強さはなかった。それでも結局、術前あるいは術中に死ぬというようなことにもならなかった。手術室に入った彼女は精神に異常をきたしたかのように、被害妄想をつぶやき、金切り声を上げた。その状況は収まらず、ついに手術開始予定の数分前になって病室に送り返されたのだった。