2/2「東京年中行事 - 永井荷風」河出書房新社 生誕135年・没後55年永井荷風 から

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2/2「東京年中行事 - 永井荷風河出書房新社 生誕135年・没後55年永井荷風 から

九月

朔日旧暦七月二十六日即月待の宵なり人々愛宕山九段坂湯島の高台に登りて深夜の月を待つこと全く廃れたるにはあらねどかの高輪酒楼の雑踏品川娼家の賑は唯当時の錦絵にその俤[おもかげ]を留むるのみ。今年この日二百十日に当る。八日白露即処暑の後十五日なり。十二日旧暦八月八日漢土にて此日竹を植れば枯れざる事五月十三日竹迷の日の如しとて竹の小春と称う呉穀人が【漢詩-返り点多く筆写略】の詩にいう食肉無銭久耐貧。此君偏要乞諸隣。恰宜種植宜移?。是月光陰竹小春。十四日神田明神夜宮十五日祭礼なり。この外[ほか]下谷金杉赤坂氷川牛込築土赤城を始め市中の明神大抵十四五日頃祭礼なり。十九日中秋家々物干台又は縁先に花芒[すすき]団子を供え嫦娥をまつる風流の士相寄って良夜を賞するの例大正の今日幸[さいわい]にして猶すたれざるが如しそもそも中秋の翫月は唐の杜子美に始るという其以前より観月賦詩の例スクナ[難漢字]きにあらずといえども特に一年一度中秋宴賞の為に詩を賦するは杜子美出でて後開元以降汎[ひろ]く一般の慣例とはなれる由林園月令採録曲侑旧聞に見えたり。二十四日白露の後十五日にして秋分に即彼岸の中日とて都?貴賤ともに萩の餅五目鮓なぞ作りて贈答す。六阿弥陀詣の日なり。西ヶ原無量寺にて出す処の六阿弥陀縁起を見るに其昔武蔵国足立の長者が一女足立姫容顔うつくしく望まれて豊島の長者が家に嫁ぎしが姑の妬みを受け沼田川に身を沈めけるに其侍女五人まで足立姫の跡を追いて同じ流れの藻屑とはなりけり姫の父足立の長者亡女の菩提を弔わんとて諸国行脚に立出て幾年月を経て故里に帰りしに曾て熊野の浦にて霊夢に見たりし神木不思議や流れて沼田川に漂えるを見折から東国巡化の行基菩薩に懇願なしかの神木を以て弥陀仏六体をきざみほとりの六箇寺に安置し奉りける由記されたり。此月初旬残暑未去遣らず中旬に至って雨あるを常とす雨ある毎に冷気次第に加り槐葉忽黄し初旬秋花爛漫続いて野菊開き雁来紅[がんらいこう]赤し蟋蟀[こおろぎ]夜々臥?に近づき燕去って目細鶺鴒鶯アオジの類秋風に乗じて次第に渡来る鴻雁初めて都門を過るは彼岸の後四五日なりと云う。棗子[なつめ]熟し林檎香しく新栗出づ。

 

十月

朔日旧暦八月二十七日に当る都下貴賤この日より袷[あわせ]を着る亥子[いのこ]餅つく例今猶ありや知らず爐開も新暦にては早きに過ぎん。五日達磨忌。九日寒露秋分の後十五日なり。十日十夜又湯島天神虎門金毘羅祭礼。十二日池上本門寺会式の前夜にて法華宗講中のもの万燈押立て団扇太鼓をたたきて威勢よく祖師堂に繰込み通夜する例なりしが両三年前より万燈押立てる事禁止になりしという。十三日より十五日まで池上雑司ヶ谷堀内いずれも御会式にて雑沓す絵本吾妻扶[あずまからげ]に雑司谷小春のときを会式とて妙なる法の庭つくり花(山道高彦)十三日はまた旧暦九月九日即重陽の佳節なり江戸時代にては此日より綿入を着たりという。九代目團十郎忌日なり。十七日神?祭又後の月見に当る。十九日大伝馬町油町辺べったら市。二十日夷講鹿都部真顔の狂歌に白かねとしられし飯をうちくうて黄金の箱やひるこなるらん。二十四日霜降寒露の後十五日なり。三十日江戸時代ならば三芝居顔見世なり今は用なし。三十一日天長節。秋漸く尽きんとして年中の好景この時にまさるはなし。小春の空拭うが如く晴れ渡れば鵙[もず]勇しく高樹の梢に叫び銀杏の黄葉金色をなし枸[く]杞[こ]梅疑[うめもどき]南天錦木?子の類その実花の如く赤し。藪鶯鶺鴒鵯[ひよどり]庭に来る。菊花の始めて開くは大抵下旬に近し街?郊墟斉[ひと]しく落葉に満ち夕照立冬に近づくに従ってますます美し。竜胆[りんどう]の花郊外の叢に咲き石蕗[つわぶき]花庭の籬[まがき]に菊を欺く此れ草花一年の終を告ぐるもの。蟋蟀[きりぎりす]下旬に至るも猶一縷糸の如き哀音をつなぐ愁人聞いて最も断腸の思をなす。枇杷花開き無花果熟し栗落ち柘榴裂け柿甘し中旬より秋刀魚出づ新漬の菜うまし。

 

十一月

朔日陰暦九月二十八日に当る此日より綿入を着る八日立冬明人王?登が立冬の詩にいう秋風吹尽旧庭柯。黄葉丹楓客裏過。一点禅燈半輪月。今宵寒較昨宵多。この日吹革祭[ふいごまつり]とて鍛冶鋳物師なぞ鞴[ふいご]を使う家赤飯をつくりて祝うためしあり十日初酉吉原田圃深川八幡前新宿品川等に市立つ十五日宮参り北斎絵本山復山に「時を得ん赤城の山の賑はひは紅葉の錦きせる髪置」十七日吉原水道尻秋葉の祭礼今ありや無しや十九日の二の酉二十二日より二十八日親鸞上人忌日まで浅草本願寺報恩講にて賑う二十三日新?祭にして節小雪に当りこれより寒漸く加りあたり全く冬となる。菊花この月下旬に至るまで爛漫たり、近年日比谷公園盛に菊花を栽培し両国国技館また浅草公園花屋舖と競って年々菊人形の意匠を凝せしより団子坂の名今は全く忘れつくされたり、去年丁巳十二月二十九日国技館菊人形小屋より失火し古刹回向院の堂宇を灰燼となせり。楓樹は中旬紅葉最もよし。並びないぞえ高尾でもと端唄にうたわれし海晏寺には数年前霜葉の猶人をして車を停めしむるに足るものありしが今は知らず。金杉村正燈寺の楓樹は唯天明時代の絵本にその?をとどむるのみ。江戸節用に谷中天王寺上野東叡山王子滝野川目黒不動音羽護国寺を挙げ又角筈十二社赤城明神大久保西向天神等を加えて都下楓樹の名所となせども今日多くは見るに足らざるものの如し。初旬既に山茶花の開くを見る八ツ手また花あり鶺鴒?雀山の手の庭に囀[さえず]る。およそ初冬の十一月景物皆佳ならざるなきは東坡の詩にも一年好景君須記最是橙黄橘緑時とあり。暮靄蒼然染むるが如く街?をコ[難漢字]むるや店舗の燈火行人を照すさま油絵に似たり若[も]しそれ郊外の道人其家に帰らんとして月中落葉を踏んで歩まば東坡ならざるも自ら臨皐[りんこう]に帰るの思をなさむ。この月松茸初茸しめじの類皆食すべし蕪甘く柚味噌香[こうば]しく大根の浅漬うまし牡蠣海鼠[なまこ]早くも食うべくムツアナゴ既に脂あり。

 

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十二月

朔日は旧暦十月二十八日なり十三日むかしは此日煤[すす]払う例なりしという今は大掃除とよびて春秋折々区役所より役人出張して人家の床板をあばき石灰を撒きて去る故極月煤払する家は稀になりぬ十四日十五日深川八幡境内に年の市立つこれ年の市の始めにて次は十七日浅草観音境内なり十九日は浅草雷門の簑市なれど近年絶えてこの事を聞かず二十一二十二神田明神年の市二十三日冬至湯立つ二十三二十四日芝愛宕下年の市二十五二十六日は湯島平河両天神社内二十八日には両国薬研堀二十九日には銀座通いずれも年の市にて夜ふくるまで賑わし。役者似顔押絵の羽子板に一年中の当狂言を見くらぶるは年の市の楽しみなりされど細工も年々に拙く又役者の顔も何故か押絵には似つかわしからずなり行く世こそうたてけれ。此の月寒気日に加り霜は夜毎に白く雪にまごう事あれど空晴れ渡りて雨少く日の光猶暖し上旬山茶八ツ手枇杷の花皆散りて水仙いまだ開かず福寿草わずかに芽を生ずるのみ中旬にロウ[難漢字]梅開き冬至に及んで冬至梅綻[ほころ]ぶ鵙[もず]啼き止み鵯[ひよどり]の声けたたまし。柚黄いろく蜜柑金柑熟す。