1/2「亭主は単なるヒモなのか、ライオン - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

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1/2「亭主は単なるヒモなのか、ライオン - 竹内久美子」浮気人類進化論 から

ライオンは古くから百獣の王として崇敬の的になってきた。人々がその強さにいかにあこがれたかは、王家の紋章など、権威の象徴として広く用いられてきたことからもよくわかる。また、かつては中東やインド北部にも生息していたというから、日本に古くから存在するライオン(獅子)に関する言い伝えは、おそらくシルクロードを通ってやって来たのだろう。ライオンは過去に一度たりともマイナスイメージでとらえられたことはなかったに違いない。ひたすら強くて完全な動物、それがライオン-であるはずだった。
ところが、動物行動学、社会生物学の分野での最近の研究は、ライオン社会の実態をあばき、その権威を失墜させてしまった。まず狩りをするのは、王家の紋章に用いられてきたオスではなく、もっぱらメスの方であること。オスは何もせず、日がな一日ぐうたらと過ごしている。ところが、それだけならまだしも、メスが獲物をしとめるとすぐに駆け寄り、真っ先にガツガツと食べるというていたらくなのだ。この情けないヒモ亭主に弁解の余地はあるのだろうか。
タンザニアセレンゲティ国立公園内にすむあるオスライオンは、日本の某テレビ局のインタビューに答え、こう語ったと伝えられている。「私だって、できるものなら狩りをしたいんですよ。でもね、この立派なたてがみがどうも目立ち過ぎてしまって、正直、困っているところなんですよ、ええ」
たしかにライオンのたてがみは、オスのクジャクの尾羽根と同様、それ自体は通常何の役にも立たない。けれども、メスがオスを選ぶ際、あるいはオスどうしが威嚇しあう場合には断然威力を発揮する。ライオンのメスはたてがみの立派なオスを選び続けた結果、オスを狩猟に向かないダメ亭主に仕立てあげてしまったのかもしれない。ルックスのいいオス(男)は内容が伴いにくいという法則は、ここでも当てはまるのだ。
ただ、それはもう取り返しのつかないことである。メスはいやでも応でも狩りをしなくてはならない。頼りにならない亭主や子どもたちを養っていくのだから、メスはさぞかし腕のたつ狩人なのだろう、と思いきや、これもまた全然期待はずれなのである。
ライオンは時速六〇キロメートル近いスピードで走ることができる。しかし、俊足ランナーが目白押しのアフリカの草原においては、それでも鈍足と言わねばならない。そこで彼女たちは足の速さで獲物を圧倒することをあきらめ、獲物に気づかれないようできるだけ近づいてから一気にとびかかるという方法を採るようになった。その過程は「草むらの小さなライオン」の異名をとるカマキリの場合とそっくりである。
たとえば、サバンナでもトップクラスのランナーであるダチョウに近づくときはこうする。彼らが首を下げ採食しているときを狙ってそろりそろりとほふく前進をする。ダチョウが首を上げると、ピタリと静止し、下げるとまた前進するのである。ダチョウにしてみれば、静止しているものを発見しにくいという弱点をつかれているわけだ。
しかし、そうなると今度はダチョウの方が対抗策をとってきた。それはできるだけ大きな集団で採食することである。集団の各メンバーは必ず何秒かおきに首を上げることを心掛けておく。そうすると集団全体としていつも必ず誰かが首をもたげていることになり、ライオンの前進の機会は奪われるというわけである。
さてまたしても分が悪くなったライオンは、単独で狩りをするネコ科動物の原則を打ち破り、集団で狩りをするという対抗策をとるようになった。それは何頭かのメスライオンがそれぞれ違う方向から獲物の集団に近づくという、なかなか高度な戦法である。ところが驚いたことに、それでも彼女たちの狩りは四回に一回くらいしか成功しないという。たてがみの目立つオスがこの狩猟集団に加わろうものなら、なおさら成功率を下げてしまうことだろう。