「五月雨、梅雨、栗花落、五月晴 - 倉嶋厚」ベスト・エッセイ2005 から

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「五月雨、梅雨、栗花落、五月晴 - 倉嶋厚」ベスト・エッセイ2005 から

「本朝の毎五月、梅まさに黄ばんで落ちんとし、柘榴[ざくろ]の華ひらき、栗の花落ち、蟇[ひき]の児街を跳ぶころ霪雨[いんう](長雨のこと)あり、これを梅雨という」と江戸時代の図説百科事典『和漢三才図絵』にある。この五月はむろん旧暦である。太陽暦と旧暦の日付は平均的には一か月ずれるが、その対応関係は年によって異なり、今年の旧暦五月は六月十八日から七月十六日までの期間に当たる。気象庁が長年の気象資料の統計から決めた東京の平均的な梅雨期間は六月八日~七月二十日であるから、梅雨[ばいう]は旧暦五月の長雨である。だから平安時代古今集から、梅雨は五月雨[さみだれ]と呼ばれてきた。「さ」は稲の植付けに関係のある語、「みだれ」は雨の意味で、早苗月の雨が「さみだれ」なのである。
芭蕉が「おくのほそ道」の旅に江戸を出発したのは、元禄二年三月二十七日、太陽暦の一六八九年五月十六日であった。沖縄の梅雨入り平均日は五月八日だから、南の海にはすでに梅雨前線が現れていた。そして北上する梅雨前線に追いつかれて、「五月雨の降り残してや光堂」(陽暦六月二十九日)、「五月雨をあつめて早し最上川」(七月十九日頃)と詠んだ。が、梅雨という言葉は「おくのほそ道」には出てこない。
梅雨は中国で古くから用いられてきた言葉で、盛唐の詩人・杜甫に「梅雨」と題した詩がある。その語源はよく知られている「梅の実の熟するころの雨」だが、黴[かび]の季節の降るので黴雨[ばいう]とも書いた。この言葉は平安時代には日本に伝わっていたと思われる。というのは和漢朗詠集に唐の李嘉祐の「千峰の鳥路は梅雨を含めり 五月の蝉の声は麦秋を送る」が載っているからである。下って江戸時代の随筆「塩尻」に「五月雨をさみだれと読み、もろこしにいう梅雨なり」と記されている。この随筆の筆者の天野信景が元禄から享保までの三十年間にわたって書いたもので、そのころはまだ梅雨は「もろこし(唐土=中国)の言葉」として、多少とも違和感のある言葉であったのかもしれない。
梅雨と書いて「つゆ」と読むのは、露の連想とか、黴のため物が「ツヒユ(損なわれる)」に由来するなどといわれ、「梅雨」と同様に五月雨に比べると新しい言葉だという。が、「つゆ」は古くから一部の地方では人々の暮らしの中で使われていたのではないか、私は思っている。というのは奈良時代の宮廷の恋物語に、いまの兵庫県出身の山田左衛門尉[じよう]真勝[さねあつ]という舎人が、栗の花が咲いて落ちる季節に、天皇から「栗花落[つゆ]」の姓を賜ったと言い伝えられているからである。そして現在でも栗花落[つゆ](「つゆり」とも)という姓の人がおり、また梅雨期にコンコンと水が湧き出て農民への恵みになったと伝えられる「栗花落[つゆ]の井」が兵庫県に今も残っている。また西角井正慶編「年中行事事典」(東京堂出版)に「栗花落祭[つゆのまつり]」が載っており「岐阜県吉城郡上宝村宮原 栗原神社の五月二十四日の祭。社の東にある栗林の木をまつる式が行われた。栗の花の散るころは梅雨期であるから、栗花落と書いてツユリとよむ姓がある」と記されている。昔からの言い伝えにも「田植え半ばに栗の花」「栗の花盛りには雨天続く」「栗の花霖雨[りんう]」「墜栗花雨[ついりあめ]」などがある。

五月雨が梅雨ならば五月晴[さつきばれ]も当然、梅雨の晴れ間の青空をいう。が、手元の辞書をひいてみて、五月晴の説明に微妙な変遷があることを知った。一九三五年初版の「大辭典」(平凡社)では五月晴は「梅雨晴[つゆばれ]と同じ」と記されているだけである。しかし「広辞苑」(岩波書店、六一年版)には「①さみだれの晴れ間②転じて五月の空の晴れわたること」と②項が加わっている。「日本国語大辞典」(小学館、七四年版)でも①項の「つゆばれ」に加えて、②項に「五月のさわやかに晴れわたった空。さつきぞら」を挙げている。
ところが「大辞林」(三省堂、八八年版)は「①新暦五月頃のよく晴れた天気②陰暦五月の、梅雨の晴れ間。梅雨晴れ」と、これまでの①項②項の順序を逆転させている。「大辞林」の序文によれば、この辞書は「現代語の記述を中心に据え」、「最初に現在用いられている最も一般的なものがしるされる」とある。この辞書が刊行された年代には、新暦(陽暦)五月のすがすがしい天気を五月晴と呼ぶのが最も一般的であると、編者は判断したのであろう。
一方、俳句歳時記では五月晴はあくまで梅雨晴[つゆばれ]。「天気予報などで、陽暦五月の快晴を五月晴といっているのは本来の意味からは誤用である」(ホトトギス新歳時記、九四年版第十七刷)などと記されている。
旧暦(陰暦)の季節の言葉を、そのまま陽暦で使うと季節感が合わなくなるのは当然だが、陽暦五月の青空と陰暦五月の梅雨空とでは、コントラストがありすぎる。辞書には空の暗さをいう五月闇、梅雨で増水した五月川、田植え時に野良で食べる五月飯など「さつきの言葉」がたくさん載っている。五月を「さつき」と読む場合は「すべて陰暦と考えるべし」と記している歳時記もある。そんなわけで陽暦五月の晴天は「ごがつばれ」と呼んだらどうか、という提案も何回かなされたが、私の後輩がテレビで五月晴[ごかつばれ]を使ったら「五月晴[さつきばれ]というのだ。おまえはそんなことも知らないのか」という投書があった。
「美しき五月の晴の日も病みて」(日野草城)の五月は「ごがつ」だろうか「さつき」だろうか。