「上野駅 - 木山捷平」日本の名随筆93駅 から

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上野駅 - 木山捷平」日本の名随筆93駅 から

残暑の午後、私は見学が目的で上野駅へ出かけた。私の家から上野へ行くには、中央線をお茶の水で乗替え、総武線秋葉原まで行き、更に山手線に乗りかえ、上野駅で下車するというのが最短コースである。時間はかっきり一時間かかった。連絡がよかったからで、いつもこうとんとん拍子にはこぶとは限らない。
去年から今年にかけて、私は三度ほど上野駅を利用した。青森に行ったのが一度、秋田へ行ったのが一度、それからもう一度は北海道へ行ったのであるが、その時は皆山手線から直接列車の出発ホームへ直行した。その前に群馬県の上牧[かみもく]へ行った時には、人と待合せをするため、待合室を利用したことがある。で、こんども先ずその待合室へ行ってみることにしたが、行ってみると、その待合室は今はもうなくなっていた。待合室の一部は家出相談所にかわり、また別の一部は有料化粧室にかわっていた。
私はものはタメシということもあるから、有料化粧室に入って見ようかと思ったが、タメシにだけ入って用をたさないのは何だかインチキのような気がして取りやめにした。百円玉を入れると扉があいて、中から鍵がかかる仕掛けであった。ちょっと留置場のような気がしないでもなかった。今から思うとタメシでもいいから入ってみなかったのは大変残念である。
私は入場券を買ってプラットホームへ入った。見学だから視察気分を出してホームの数を数えてみると、ホームの数は十七あることが分かった。一番線と二番線が山手線と京浜東北線で、これが上野の山に近い一番高いところにある。それから段々みたいにさがって、六、七番線以下のホームは平地みたいなところにある。いっているならば上野駅のホームは、関東平野の芋畑の中にあるような感があった。安定感にかけては東京都内随一にちがいないと私は判断した。
概観してそう思った私は、次にその数多いホームの中の一つである八番ホームに入ってみた。するとホームの中ほどで三人の女が新聞紙を尻に敷いて、汽車弁当を食べている風景に出逢った。全くそれは風景という感じだった。そばに売店があったので、私は缶ビールとピーナツを買って後をふりかえると、一番年長の女が「おじさん、どうぞここへお坐りなさい」と私の為に席をあけてくれた。
私は一ぱいやりながら女からいろいろ話をきくと、この三人連れの女は親子だった。母親は東京で父親と知り合って結婚し、男の生れ故郷である銚子で家庭を持った。今日は二人の娘を連れて、母親の実家である秋田県角館[かくのだて]の祭礼見物に出かける途中だとのことだった。
こういう話をきいているうちに、私の缶ビールは終りになった。私は空缶をごみ箱に棄てに行くと、同じホームにいた三人連れの青年から、
「おじさん、別嬪[べつぴん]の傍にばかり行かないで、ここにもお坐りなさい。......まあ、一ぱいいこう」
と盃を差出された。渡りに舟だから三人の青年の間に割って入ると、この青年たちはすでにウイスキーを一本カラにして、二本目に移っているところだった。もっともそれほど酔っている気配はなかった。三人が三人とも秋田県県北の農村のもので、現在は東京に出稼ぎにきているが、数日間暇がもらえたので、これから村に帰って行く途中だとのことだった。
しかしそういうことよりも、私が一番興味を覚えたのは、これらの男女は午後七時四十五分発の急行第一津軽に乗ろうというのに、三、四時間も前からこうしてこのホームで待っているということだった。待っている間の時間つぶしに飲み食いしているのだとは思えなかった。飲み食いする為に、つまりは乗る前の雰囲気をたのしむ為に、わざわざ三、四時間も前からこうしてホーム入りしているの感が多分にあった。
こういう光景は八番ホームに限らず、九番ホームでも十番ホームでも見られた。ある六十前後の婦人のごときは一枚の新聞紙の上に正座して、これから三三九度でもするかのような期待にあふれた表情をしていた。私なら三分間とは持たない窮屈な姿勢だが、彼女はできることなら三年でも九年でもここに坐っていたいような楽しそうな表情だった。上野駅でなければ絶対に見ることの出来ない風景であった。