「厄年ふるさと紀行(後半抜書) - 玉村豊男」文春文庫雑文王玉村飯店から

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「厄年ふるさと紀行(後半抜書) - 玉村豊男」文春文庫雑文王玉村飯店から

私はからだを拭き、冷えないうちに服を着ようと立ち上がった。ひとりの老人が入ってきて、ロッカーの上に置いてある脱衣カゴをとり、そこに着物を脱いだ。籐で編んだ脱衣カゴが懐かしい。
なんだか、ドッと疲れが出たようだ。
すぐに電車に乗る元気がないので、はじめに入った喫茶店にもう一度入って少し休むことにした。結局、一日中、生まれた家のまわりをぐるぐるとまわっていることになる。
もしも、故郷に住んでみたら、どうだろうか、と考える。
家の北隣りの、昔お屋敷のあった土地には、いま新しいマンションが建設中だ。たとえばそこに入居して、西荻窪に暮らしてみる......。
それはおそらく、過去の記憶の中に住むようなことになるだろう。四十年間住み続けていりならば毎日の出来事で過去の記憶は薄まろうが、いま突然生まれ育った土地に移住したとすれば - しかもそこが東京とはいえ古い人とものがいっぱい残っているまさしく“故郷”そのものであったとすれば - 私は否応なく毎日のように自分の生い立ちを考えつつ暮らすことになるに違いない。
古いものに囲まれて生きるのも、慣れてしまえば心の安らぐものだろう。ただし、はじめのうちは相当に居心地が悪そうだ。しかし、厄年の、大殺界の、隠忍自重して暮らす時期には、そんなふうに自分の中に沈み込んで生きることも悪くないのかもしれない。
占いや言い伝えの類いを信じるか信じないかは別として、厄年といい、大殺界といい、要するに人の人生には何度か影の部分がやってくる、ということなのだろう。
厄年、というのは、かつての人生五十年の時代では四十二といえば老境にさしかかろうという年齢だから、肉体的にさまざまの障害があらわれてくる時期を指していたのかもしれないが、現在では、むしろ壮年期に生じる精神的なストレスの適応障害を意味するのではないかと思う。二十代はまだ子供であり、未知の要素が多い。三十代に入ってようやく社会的責任の重さを自覚すると同時に、自分の将来を最終的に決定する方向がしだいにはっきりと見え出してくる。そして、三十代の後半から四十代のなかばにかけては、将来の可能性を少しでも広めておこう、まだもうひとつ大きな仕事をしておこうと、最後の悪あがきをすることになる。
ある意味でいえば、厄年の頃というのは第二の青春期なのかもしれない。しかし、ここで挫折すると、本物の青春のときと違ってほとんどあとがない。一方で、青春時代は漠然とした不安といわれのない確信を抱いているのに対して、壮年期の人間には少なくともそれまでの実績につちかわれたいちおうの自信があり、それが過信につながって墓穴を掘ることが多い。この場合の自信と過信は、いわば、“いわれのある不確信”といった体のもので、自分が思っているほど確かなものではないことはうすうすわかっているのだがそうと認めたくないから余計に信じ込もうとする種類の自信であり過信なのである。しかも、まだ強引に突破するだけの体力は残っているはずだと思い込んでいるから、つい無理をする。そうして、精神的なストレスを実力でねじふせようとして失敗すると、
「やっぱり厄年だった」
といわれる結果になるのである。

厄年、といえば四十二歳だが、十二年ごとにめぐってくる大殺界では三十六歳から四十八歳のあいだ、ということになるから、より広い範囲で“当る”わけだ。たまたま私の場合は、大殺界の一年目が四十一歳(数え四十二)からスタートするという、ダブルパンチのモデルケースなのである。
他人から指図されるのは、たとえその他人が神様であってもイヤだと私は思うが、こうして自分で納得してみればまあそれもしたかのないことだとは思う。ひょんなことから墓参りをし、ついでに故郷を訪ねて子供の頃のことを思い出しもしたが、これもなにかの縁なのかもしれない......いや、そんなふうに考えることじたい、かなり運命論者になってしまっている証拠だけれども、まあ、病気になれば誰でも弱気になるものだ。
「いままで健康を誇っていたあなたが、突然大病をして、なにか人生観に変化はありましたか」
と、何人かの人に質問されたが、そのたびに、
「いや、これくらいのことで、とくにどうという変化はありませんよ」
と答えてきた。しかし、本当は、少し、変化はある。
ひとつには、人間はいつ何時[なんどき]、死ぬかもわからない。ということをもう一度確認したことである。私は前々から割合そういうことを日常的に考えている人間ではあるのだが、四年前の交通事故に続いての今回の大量吐血はそのことを身近に考えさせた。そして、もしもこのまま慢性肝炎が治らずに肝硬変にでも移行すれば、並の人より早く死ぬことになるかもしれず、また一病息災で生き延びたとしても以前の全き健康は取り戻せずに後半生を過ごすことになるかもしれない。
いつ死ぬかもしれぬ、とか、一生病人のまま過ごす、とかいう事実を認めることは、一種の諦観[ていかん]である。そうした諦観を得られた人は、それでは生あるうちにひとつでも立派なことをしておこうとか、後世に残る仕事をしたいものだとか考えるのではなかろうか。
しかし、私の場合は、この数ヵ月そんなことを考え続けた末、別の結論に到達しようとしている。
つまり、どうせつまらない、吹けば飛ぶような人生ならば、いつ吹き飛んでもいいように、つまらなく生きればいいではないか、という思いである。
つまらなく、というのは、自分の生活をつまらなくするという意味ではない。半病人でも私は楽しくありたいが、要するに自分の仕事や人生が他人のために役立つという幻想を捨てようということだ。
とりたてて、意味のない人生、何故[なぜ]生きているのか、と問われれば答えようもない人生。ただ昨日[きのう]があったから今日[きょう]があり、今日[きよう]があるのだから、きっと明日[あす]もあるだろう、というだけの生活。もしもそんな暮らしを送ることができるなら、いつ生命を断ち切られても悔いは残るまい。
もちろん、まだそこまで達観するには至っていないが、私も厄年になってようやく、自分の器の大きさにあきらめをつけることができそうな予感がする。
私たちの前にある道は、決して思っていたほど広い道ではないのである。人は、いくつかの挫折を繰返しながらそのたびに細くなる道を歩き続け、最後は自分のサイズと同じ幅だけの小径にたどりつくのだ。
コーヒーを飲み終ると、もう午後五時をだいぶまわっていた。
そろそろ帰らねばなるまい。
代金を払って外に出ると、駅へ続く道はもうすっかり暗くなっていて、ただ、誰もいない隣りの中古車展示場の明りだけが、あたりを煌々[こうこう]と照らしている。