(巻二十九)黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

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(巻二十九)黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

4月18日日曜日

4部屋の掃除機がけを済ませてから散歩に出かけた。午前中に散歩をすると午後は昼寝になってしまう。夜のことを考えるとあまりよろしくないのであるが、今日も午後は天気よくないらしい。

コンビニで珈琲を喫し、生協で米2キロを買って帰る。風が出てきた。

本日は四千歩で階段は2回でした。

朝日俳壇:

解る句は面白くない。解らないくは難しい。

諦めの早さが取得大朝寝(あらゐひとし)

を書き留めた。

持てあます西瓜ひとつやひとり者

で始まる、

「西瓜 - 永井荷風新潮文庫文人御馳走帖(嵐山光三郎編)から

を読み始めた。3分の1辺りに以下の一文がある。

《 大正十二年の秋東京の半[なかば]を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏の謂[いわ]ゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少[きんしよう]ではない。わたくしは人間の世の未来については何事を考えたくない。考えることはできない。考える事は徒労であるような気がしている。わたくしは老後の余生をぬす[難漢字]むについては、唯世の風潮に従って、其日其日を送りすごして行けばよい。雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないよいに考えられている。この場合わが身一つの外に、三界[さんがい]の首枷[くびかせ]というもののないことは、誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。》

諦観ですね。余計なことを考えずに日々を生きよということだ。愚考の渦を作らない心掛け、Ruminative thinkingを発生させない訓練だな。

叶えてください。安眠とその延長としての永眠を。