「葱肥えたり - 神吉拓郎」ちくま文庫 たべもの芳名録 から

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「葱肥えたり - 神吉拓郎ちくま文庫 たべもの芳名録 から

霜のたよりがあった。
葱が肥え、甘くなってきた。
ネギ。
一名を、ひともじ。
その、ひともじの謂[い]われについて、私は長いこと騙されていた。
騙されたというより、担[かつ]がれたといった方が近いか。
「なぜ、ひともじというか。それはだな、こういう風に、根の方を持って、逆さにぶら下げて見ると、ホレ......」
担いだのは、農家の男である。
「ホレ、人の字だろうが......」
なるほど、ネギを逆さに下げると、途中から分かれた葉の具合で、ぜんたいが、長っ細い人の字の形に見える。
「しかし、余分な葉がついてるね」
「そんなことは、気にしない、気にしない」
彼のいう通りに、あまり細部にこだわらなければ、確かにねぎは人文字であった。
此の頃、テレビのなんとかショウで、[幽霊が映っている写真]などというのが仰々しく紹介されたりするけれども、人間はどうも自分の目に見えるものを、とかく頼りたがるものらしい。万事、一見に如[し]かずというたとえがある上に、見たものは無理矢理納得してしまおうとする通弊があるようで、私もその例に洩れなかったわけである。
長いこと、それを信じていたが、実は、そうではないらしいが最近になって解った。
葱という字は、元来〔き〕と読む。臭いもの、という意味だそうである。一字だからひともじと呼ばれたので、一文字である、ということらしい。単純明瞭、あっけなさ過ぎて、左様で御座居ますかと白けたくなる。が、一方、はっきりと、これが結論、という気がした。
葱に加えて、白菜、蕪、大根の、この四白が揃うと、いよいよ、冬ここに在りの感が深くなる。
いったいに、日本の家庭料理、特に冬のものには、白の取り合わせが利[き]いている。豆腐や、カマボコはんぺんの類も白である。すき焼き、ちり鍋、寄せ鍋、水たき、と、どう名前が変っても、なにか白を配して、色彩を軽く、もたれないように按配してある。これは必ずしも意図的なものではないかも知れないが、文字通り淡白好みの日本人の気持に叶っていることは確かなようだ。
たとえば、戦前の庶民の喰いものの代表に鱈ちりなんてものがあるが、あんな真っ白けな料理を食べている人種は、世界中でも日本人だけではないかと思う。ホワイト・シチューとか、クラム・チャウダーなどはいくらか近いかも知れないが、清浄感という点では、かなりへだたりがある。
私は東京に育ったせいで、関西の葉葱の、あの青さに、なかなか馴染めなくて、うまいとは思うものの、やはり、葱を食べるとなると、関東の根深(深葱)がいい、青いところはなんとなく敬遠したい気味がある。棄てるところだという頭がある。そのくせ、あさつきやわけぎは喜んで食べるのだが、それは細くて柔かいからという言い訳がつくからである。
昨夜はすき焼きだった。私のウチのすき焼きの煮方は、やや関西風で、割り下を使わずに、煮汁を少くして肉と葱を交互に焼いて行くというやり方だが、葱は着実にウマ味を増しているようだった。

葱の匂いを嗅ぐと、栄ちゃんを思い出す。
栄ちゃんの本名は、矢島栄次郎といって、元フライ級のプロ・ボクサーだった。戦後ダド・マリノから選手権を奪って、日本人で初の世界チャンピオンになった白井義男より少々先輩で、たいへんうまいボクサーとして定評のあった人だ。
「白井とは、一勝二敗だったかしらん」
と、栄ちゃんはいっていた。
知り合ったのは、戦後間もなくのことで、栄ちゃんが、いっときやっていたボクシングの地方巡業んやめて、小さな焼鳥屋を、下北沢で開いた頃である。
栄ちゃんが店に立ち、初々しいおかみさんが手伝って、店にはいつも活気があった。栄ちゃんは顔が広かったから、ヨシズで囲った、屋台に毛の生えたほどの店に、いつも人があふれ、客筋も多彩であった。
最近なくなった映画俳優佐野周二さんをはじめ、映画関係の客も多く、まだ映画界へ入ったばかりの高島忠夫君の姿も見かけたことがある。古い銀座を知っている人にはお馴染みの花売りの巨漢ジョニーが、ぬっとノレンから顔を出したり、当時売り出しの暴力団銀座警察の顔ききだったキンちゃんが仕立おろしの白背広で颯爽[さっそう]と現れたりする。
その頃の、下北沢という町は、なかなか面白かった。
茶店や飲み屋で知り合った私のつき合いの範囲にも、韓国人のヤミ屋、北海道の大牧場のドラ息子、米国兵のオンリー、在外銀行の元頭取、元参謀、麻雀師など、さまざまな人物がいて、それぞれ、自分の生活に没頭していた。
戦火をまぬがれた町、しかも住宅地だっただけに、たとえば新宿のヤミ市などと較べて、人気[じんき]も穏やかで、どこか、昔の郊外住宅地の、のんびりした気分がまだ残っていた。
私は、そうした雑多な人たちに混っているのが好きだった。丁度ハタチになるやならずの年頃だったが、ラジオの脚本料や雑誌の原稿料をいくらか貰えるようになっていた。
その頃には、まだ、横光利一とか中山義秀萩原朔太郎などという人たちにゆかりの深い喫茶店も残っていた。私はその喫茶店に入り浸っと、日がなコーヒーを飲み、シャンソンを聞いた。
〔ロリガン〕という、その店のレコードでは、シャンソンが、いちばん揃っていて、ダミア、ティノ・ロッシュなどがふんだんに聞けた。
イヴォンヌ・ジョルジュの印象も強い。ダミアのコレクションを聞いていると、半日はつぶれてしまう。そして、暗くなると、そこを出て、栄ちゃんの焼鳥屋へ移動する。
焼鳥屋といっても、栄ちゃんの店のは、ヤキトンだし、値段も安い、だから毎晩でも行けるのである。
或る日、栄ちゃんを誘って球でも撞[つ]きに行こうと思って、早い時間に行くと、奥でまだ下拵[したごしら]えをやっていた。
栄ちゃんとおかみさんと婆さんが車座になって、葱の山と切り分けたタネを前に、せっせと串に刺す作業をしている。
それが済む迄は、主人としても、出るに出られない。
「すみません。ちょっと待ってね」
と、栄ちゃんは、にやにや笑って、そっと目くばせして見せた。
待っているのも退屈だし、刺している手もとを眺めていると、なんだか面白そうでもある。
そこで、面白半分に手伝ってみたねだが。どうしてこれがなかなか難しい。
ヤキトンのタネは、ご存じのように多種多様である。レバ、タン、ハツ、シロ、コブクロ、軟骨、カシラ、ガツ、ハラミなど、やってみると、それぞれ要領が違う。大きいのはひと串に三切れ、小さいのは四切れなどと按配しながら、間に葱を挟んで行くのだが、軟骨を刺すのは、やっぱり骨が折れる。骨片と肉が微妙に入り混っていて、串の先が滑るし、うっかり力を入れると、指を刺しそうになる。シロ(腸)は形を整えるのが難しく、ハツは、意外に串が入り難い。
何本かやっているうちに、すこしばかり要領は飲みこんだが、指先が痛くなって参った。
「結構難しいもんでしょう」
と、栄ちゃんは笑っていた。

その栄ちゃんの店で、毎晩十本くらいのヤキトンを食べるのが日課で、店が閉まると、彼と連れ立って、毎夜屋台を出しているラーメンを食べに行く。
いかつい顔をしたラーメン屋は、見かけに寄らない好人物で、作る手際は無骨だが、ウマいラーメンを喰わせるので評判だった。
当時、すぐ近くの細いドブ川の上に板を渡して、その上に店を乗っけた奇妙なラーメン屋があった。
ドブ川は、誰の所有地でもなかったし、使った湯水を棄てるのにも気兼ねはいらないし、うまい所に目をつけたものである。丸い目をした婆さんがやっていて、ここのラーメンもファンが多かった。
「どちらかといえば、婆さんの方がウマいと思うんだけど......」
と、いいながら、栄ちゃんは、私をいつも、屋台の男の方に誘った。どうやら、その男の人柄が気に入っているらしかった。
まだ世の中が落ちつかない頃だったから、喧嘩沙汰もしょっちゅうだった。
或る晩おそく、栄ちゃんと私が並んで、その屋台のラーメンを喰っていると、酔っ払った学生がやってきた。図体の大きい奴で、険悪な顔をしていた。なにが気に入らないのか、ひどく荒れていて、ラーメン屋に喰ってかかった。そのうちに、手で屋台の上を払ったので、私たちの食べかけの丼は地面に落ちて、惨状を呈した。
栄ちゃんが文句をいうと、その学生は、手を伸ばして、彼の胸倉を取りにかかった。栄ちゃんはフライ級の選手だから、小男の部類に属する。その学生は、なに程のことやあると思ったらしい。腕自慢であったのかも知れない。
引き寄せられとする瞬間に、栄ちゃんは、その力を利用するような具合に、右のパンチを打った。
全く、あっという間の出来事である。
大男はゆっくりと仰むきに倒れた。頭を打ったかなと思ったが幸いそうではなかった。
全身が痺れて、動けないのである。
元プロのボクサーの、しかも素手のパンチを急所に受けたらどうなるか、私は初めてそれを見て、これはいけないと思った。喧嘩をする時には、よくよく相手を見極めた上でないと危い。アゴの先端を狙ったのだが、そのパンチの速さ、正確さ、申し分がなかった。栄ちゃんが、元ボクサーの片鱗を見せたのは、あとにも先にも、その一度だけだったが、その印象は、実に目が覚めるようなものだった。 

それだけ毎晩、ヤキトンを喰っていながら、同じ串に刺さっている葱の方は、ついぞウマいと思ったことがなかった。どうしても焼き過ぎになってしまうからだろう。
レバとかタンとかがいい加減に焼けた頃には、葱はもう黒く焦げて、ぱさぱさになってしまっている。
葱は葱だけの串でないと、ウマくは喰えないんじゃないか。
いつか、栄ちゃんにそういったら、
「そうかなあ」
と、考えていたが、その栄ちゃんも、伝え聞いたところでは、先年、物故者の数に入ってしまったという。

東京を出て、北へ、近県に車で出かけたとき、帰りに葱を売っている店を見つけると、やはり買いたくなる。
泥葱を一把二把と買って、後のトランクに入れてくる。
以前、庭のある家に住んでいたときには、いくらでも裏庭に囲っておくことが出来たが、今はマンション住いだから、せいぜい一把がいいところだ。
料理のなかに取合せることもするが、見るからにいい葱があるときは、葱だけ焼くこともある。
フライパンにサラダ油を軽く敷いておいて、ざくざくと適当な長さに切ったやつを焼く。ごく強火で、手早く焼いて、醤油と七味唐辛子で食べると、なかから、あつあつの葱が飛び出してきて、舌を焼く。俗にいう鉄砲というやつである。手早くやるのが身上で、これなら葱が乾いたり萎[じぼ]んだりしない。
もう一つは、細かく刻んだ水々しいやつと、ふわふわにかいた鰹節を合せて、炊き立ての御飯に乗せて、醤油を落して食べる。もみ海苔や七味も試してみたが、これはなくもがなで、葱と鰹節だけがいちばん良いようだ。うちうちで、〔ネギカツ〕と称するのだが、ウマ過ぎて、つい御飯を食べ過ぎる恐れがある。
茹でた葱を、フレンチ・ドレッシングで食べるというサラダ風もあるが、これはやはりポアロ(ポロ葱)には及ばず、〔ぬた〕も、わけぎに如[し]くはなしの感がある。
すき焼きや湯豆腐、鍋一般のほかに、特に、葱を欠かせないものといったら、納豆と、鰯のツミレ汁だろう。ネブカ汁もそうだが、納豆やツミレや味噌と、この葱の取り合わせの妙に、しみじみと舌鼓を打てるのは、日本に生れたものの特権といってもよさそうだ。  
葱肥えたり、そして、冬はここに在る。