「からだで味わう動物と情報を味わう人間 - 伏木享」03年版ベスト・エッセイ集 から

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「からだで味わう動物と情報を味わう人間 - 伏木享」03年版ベスト・エッセイ集 から

おいしさといえば、もちろん舌の感覚だが、のどごしなんて言葉もあるから咽頭あたりの感覚まで含まれる。温度も重要である。大阪名物のたこ焼きはやけどするほど熱くなくてはおいしくないし、渇きを癒すビールはよく冷えていなければいけない。
おいしさには鼻へ抜ける風味も大切だ。鼻をつまむと味が変わるばかりでなく、何を食べているのかわからなくなるものも多い。ぱりっとした漬け物の噛みごたえは歯ぐきへの衝撃で、これもおいしい。弾力のあるスパゲティが口の中で暴れるおいしさは口の中全体の物理的感触である。口の中の多くの感覚機能が、おいしさの解析に動員されている。
これだけでも、味わうというのはなかなか大層なことだと思わせるが、実はもっとダイナミックで複雑なものであることが明らかになってきた。おいしさは、からだでも味わっているのである。
もちろん、指先をスープにつっこんでおいしさを感じるなどという意味ではない。食べ物が消化吸収され、代謝される頃にはその栄養価値が明らかになる。栄養素のバランスやカロリーなども情報となって脳に伝えられ、おいしさの判断や記憶に大きな影響を与えるのである。栄養価値の高いものをおいしく感じる。このおいしさは食べるという行為の本質に関わるものである。

おいしいのにカロリーがない脂肪を開発したい。菓子や食品企業の研究者の夢である。脂肪はコクがあって旨いが、カロリーが高いのが玉にキズである。カロリーなんか全く気にせず思う存分チョコレートやクリームを食べてみたい、と密かに願っている人は多いだろうけれどやっぱり無茶はできない。全くカロリーがなくてしかもおいしい脂肪が作れたら爆発的に売れるに違いない。それほど、切実な問題である。
世間には、カロリー半分以下のマヨネーズ(JAS規格ではマヨネーズとは呼ばない)やドレッシングなどが売られている。カロリーを低く抑えるのにはいろいろなテクニックがあるが、脂肪とよく似た食感の多糖類などで増量することによってカロリーが削減されている場合が多い。結構、おいしくて満足感がある。しかし、これとてカロリーがゼロというわけではない、半分である。欲張りな人はまだ満足していない。
食品中の脂肪は脂肪酸という分子が三つグリセロール分子に結合したものである。小腸の中でこの結合が切断されてから体内に吸収される。結合が切れなければ吸収されないからカロリーはない。ゼロである。この夢のような素材は実は米国の食品会社によって開発されている。米国の一部の州では、ポテトチップスなどの形で試験販売されている。少し前に、これを輸入して食べてみたが、普通のポテトチップスと変わらない。脂溶性のビタミンを排泄してしまうことなどが指摘されているが、味の面ではうまくできている。
これとよく似た原理で試作された別の脂肪が手に入った。見た目は普通の油である。熱にも安定で、天ぷらもフライもうまく揚げられる。実験動物は、この試作品の油を最初喜んで食べた。市販のコーン油と比較しても実験動物の嗜好性には差が見られないほどよくできている。しかし、三〇分を過ぎる頃から事情が変わってきた。実験動物が次第にこの油を好まなくなったのである。それからは動物はコーン油ばかりに群がって、試作品の油を選ぶことはなかった。わずか三〇分で見破られてしまったのである。からだもおいしさを感じていると悟ったのは、この実験の結果であった。

動物実験で三〇分というのは、深い意味のある時間である。油を摂取して三〇分ほど経つと、脂肪は消化吸収され、からだの中でエネルギーに変わる。ここで、おそらく内蔵からネガティブな信号が出たのである。油としてはおいしいけれど、エネルギーにならないぞ、という情報が、一挙に実験動物の嗜好性を失わせたと考えられる。舌は騙せても、からだには嘘はつけない。
動物は本来、脂肪に対して執着する。モルヒネなどの依存性のあるドラッグと同じメカニズムで本能の快感を生じ、もっと食べたいという執着を抱くことが明らかになっている。おいしさの快感はβエンドルフィン、もっと食べたいという欲求はドーパミンが主に関係することも明らかになっている。
同じ方法で実験すると、この試作品に動物は執着の行動を示さなかった。本能はこの油に執着することを許さなかったのである。理由は一つ、食べてもカロリーがないものは役に立たない、こんなものに執着するとカロリーが不足して命が危ない、である。シビアというかドライというべきか、動物の選択には迷いがない。食べることは動物にとっては一大事である。彼らの食行動は本能に忠実で、食の選択は必要な栄養素の獲得にとって有利な方向に限られる。動物にとってはノンカロリーなんてとんでもない食品なのである。栄養価値のない食物に騙される動物は、厳しい生存競争の過程でとっくに死に絶えているであろう?少なくとも実験動物にはカロリーのない油に執着する余裕はない。
カロリーさえ補ってやれば執着は復活した。例の試作品の油を口に入れて、同時に胃の中に市販のコーン油を投与すると、今度は試作品に対する執着が起こったのである。胃の中のコーン油が吸収されてカロリーを補給したのだが、動物はそんなことは知らない。もっとも、口の中に何を入れてもカロリーさえ高ければ執着するかというとそうでもない。苦味のある物質では、同時に胃の中に油を入れても執着しない。好ましい味は必要である。

この結果は、おいしさという概念の見直しを迫るものである。おいしさは確かに口の中で感じられる。味覚だけでなくて、多くの感覚が総動員されて、安全で納得のできるものを食べようとすることは冒頭に述べたとおりである。しかし、その後でからだから栄養価の情報が追加される。口の中と吸収されてからの少なくとも二種類の信号が脳ですり合わされる。味覚の判断と栄養の判断とが合意に達しないと、おいしいと記憶されることはないのである。からだもおいしさを主張する。
味の情報と、カロリーがないぞという内蔵からのネガティブな情報には時差がある。消化吸収に要する時間である。こんなに時差があってもすり合わせが起こるのは不思議である。動物はかなり用心深い。舌からの味覚情報は、短期記憶として一時的に保存され、内蔵からの情報を待つと想像される。脳内には、舌からの神経と内蔵からの神経が非常に近くを走行する部位があるので、この近くの脳部位ですり合わせが行われるのかも知れない。この結果が食経験の記憶ファイルとして脳に保存される。
どのような形で、味覚の修正が行われるのかは、まだ明らかではないが、カロリーのない油を使った食品は、二度目には最初の感激がないのかも知れない。あるいは、すぐに飽きが来るのかも知れない。

動物としての機能は人間にも残っている。全くカロリーのない油は人間にもやはり受け入れられないかも知れない。からだが「まずい」と拒否する可能性がある。
しかし、幸か不幸か人間は動物ほど純粋ではない。人間は、からだによる味覚や栄養価値の判断の他に新たな手段を持ったのである。それは、情報の活用である。
動物には拒否されても、ノンカロリーはいわゆるダイエットしている人には好ましい。このような特殊な機能が情報として頭から入った場合、人間は葛藤する。おいしいものも食べたいけれど美容や健康も捨てがたい。動物には決して見られない人間の特徴である。人間の大脳は多様な情報処理のために巨大に肥大してきたと考える人もいる。
人間には味や栄養効果以外に情報による高度な判断基準があるから、味や栄養で総てが決まるわけではない。まずくても健康増進に良さそうなら平気で食べ続けることもできる。「まずいっ、もう一杯」という有名なCMはこの間の事情を端的に語っている。安全や健康・栄養といった情報は、本来は味覚による判断を補助するために獲得されたものである。しかし、情報は爆発的に進化した。スーパーから買ってきた食品のパックに書かれている文字情報のおかげで、中身をいちいち真剣に味見して安全性を確かめなくてすむ。安全は大いに高まったが、その結果として逆に味覚は鈍くなったということもできる。

情報の発達と味覚の後退は、人間の食生活に大きな影響を及ぼしている。食品の受容性にとって情報はあくまで予備知識や事前調査の役割を果たすもので、最終的には食べることによって確認されるはずであった。しかし、味覚は進化した情報に追いつかない。ブランドの食材だといわれれば妙に納得してしまう。ワインのように最初に情報があって、味覚がそれを学習するという動物としては本末転倒も随所に見られる。昨今、食品の表示に皆が異常な関心を持つのも、自分の舌に自信がないうしろめたさの現れかも知れない。
うまいかまずいかよりも、太らないというフレーズが人間には有効である。おいしいステーキやチョコレートよりも、情報がもっとおいしい。人間とは奇妙な動物である。