(巻二十九)命かけて芋虫憎む女かな(高浜虚子)

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(巻二十九)命かけて芋虫憎む女かな(高浜虚子)

6月13日日曜日

今朝は9時から風呂と洗面台の排水口の掃除を致した。ついでに4部屋の拭き掃除を致した。それから昼飯の仕度で10時半となる。昼飯の仕度と云っても昨晩の残り物を電子レンジで温め返すだけだ。

午後は雨の降る前に図書館へ行き4冊借りてきた。

本日は二千二百歩で階段は2回でした。

「【大衆と古典文化】“歌笑”文化 - 坂口安吾」日本大衆文化論アンソロジー から

を読んでいるが、

金語楼が落語界の新型であったころ、芸界では、もっとケタ違いに花々しい流行児があり、それが無声映画であり、活弁であった。今の徳川夢声と生駒雷遊が人気の両横綱で、群をぬいており、西洋物で夢声、日本物で雷遊、中学生の私は夢声の出演する小屋を追っかけまわしたものであるが、当時の民心にくいこみ、時代の流行芸術としては、落語の金語楼などの比ではない。芸の格もちがう。夢声はトーキー以来漫談から芝居、映画に転じ、現在ではラジオの第一人者でもあり、文章においても、出色の存在だ。あらゆる点で日本の芸人の第一流の存在であるが、これにくらべると、金語楼歌笑はケタ違いに小さな三級品程度にすぎないのである。 》

夢声氏を随分高く評価している。「文章においても出色の存在だ」とのことなので改めて読んでみよう。

ブロッコリーを茹で、ジャガイモを茹で、鶏肉を焼いて夕食と致した。飼い慣らされてしまったようで、手順など五月蝿いことを言われなくなってしまった。

願い事-叶えてください。

こうやってその日その日を過ごしているのが......

回転をやめれば割るるしやぼん玉(石井いさお)