(巻三十)手の平に転ろがす定年水割りグラス(鈴木正季)

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(巻三十)手の平に転ろがす定年水割りグラス(鈴木正季)

7月14日水曜日

洗濯をして、生協へ同行し、昼飯を温めて、それを食って午前を終わる。

写真は生協の帰りに買った竜胆、蒲の穂、と、とある紫の花である。お盆の時季の花屋さんの店先は仏花ばかりだが細君が後ろの方からフランクフルト・ソーセージのような蒲の穂という植物を探してきた。帰り道、蒲の穂と因幡の白兎の故事の蘊蓄を細君からうかがう。竜胆は秋の季語だし、秋の花かと思っていたが、この時季に咲くのか!

大マンションの影の内なり盆の町(関悦史)

午後は軽く散歩してみた。百日紅が咲き始めたようだが一撮にはまだ早い。

本日は三千九百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。リンドウは毒のある花だと承知しているが、毒のありそうな紫である。毒は美しい。

笑ひ茸食べて笑つてみたきかな(鈴木真砂女)

笑ってみたくなりこの随筆集を捲ってみた。笑える作品が詰まっているわけではなかったが芥川比呂志の作品は読んで心が和んだ。太宰のエピソードを盛り込んだ随筆は多いが、読んだものはみな太宰に好意的だ。

「笑いたい - 芥川比呂志」日本の名随筆22笑 から

何人か寄って、話をしていて、笑えないのは、つらい。まじめな話合いでも、一と区切りつけば、笑いたい。まるで笑わないのは、くそまじめというものだ。むろん、悲劇的な出来事の後とか、せっぱつまった相談事とかは、抜きにしての話である。

笑いは、話にちょっと添える薬味ではない。お上品な食卓を飾るしゃれた生花ではない。笑いは、話の味をよくする酒である。いや、笑いは話そのものであり、私たちは、笑いのために話することさえあるのだ。

-中略-

みなが談笑しているのに、一人だけ黙っている人があると、気づまりなものだ。そこで、みなサービスの限りをつくして、話の中へ引き入れようとする。

黙っている方にも、事情はある。ちょっとした引け目とか、気おくれとかで、つい、黙りがちだったのを、まわりが気を遣いすぎるものだから、かえって気持が屈折して、ますます無口になる。機嫌がわるくて黙っているわけではない。しかし黙りつづけている内に、不機嫌になってくる。 

そうなると、みな興醒めて、何となく静かになるが、やがて面倒くさくなり、口をきかぬ奴を無視してあれこれ話合うにつれ、また油がのってきて、ついに笑いの飽和状態に達してしまうことがある。誰かが一言いうとみながどっと笑う、次の一言で哄笑、また一言、また爆笑、というあの状態である。まわりがそうなった時は、黙り屋はじつになさけない思いをする。

二十年の昔、私はそういう経験をしたことがある。

夜の座敷の客は、私のほかに数名、主人をかこんで話がはずみ、笑い声は間断なく、私一人が無言であった。まだ酒の味を知らず、無理にやっと飲んだ数杯のビールが、かえって憂鬱をつのらせた。私は頑[かたく]なに黙っていた。

ふと、卓の向うから、微笑して、主人が、私に声をかけた。

「きみ、靴下をぬいでごらん。楽になる」

虚をつかれた。半信半疑で、言われた通りにした。なるほど効果はてきめんであった。私は憑きものが落ちたようにしゃべり始めた。

隣から酒をすすめられる。断ろうとする私を制して、主人は卓ごしに自分の盃を差し出し、おどけた調子で言う。

「弱きを助けよ」

私は、はじめて、みなといっしょに哄笑した。

青森県金木町のその家の主人の名は、太宰治