(巻三十)有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

f:id:nprtheeconomistworld:20210719082426j:plain

(巻三十)有為転変母の浴衣が雑巾に(生出鬼子)

7月18日日曜日

昨日は布団カバーを洗濯し、今日はシーツを洗濯した。とにかくよく乾いてくれる。

夕方、図書館に予約本を受け取りに出かけた。予約した本は「予約資料コーナー」に置かれている。他の人が借りる本を見て本を知ることが多い。が、着るものと同じで自分の寸法に合う本にはなかなか出逢えない。

本日は三千歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。背伸びとか無理はよくありません。

今日は、

「「日記」偏痴気の説 - 中野好夫」日本の名随筆別巻28日記 から

を読む。

《 そもそも個人の内部生活に関するもねを、なぜそう書き留めておく必要があるのであろうか。後日の反省の資に書いておくという考え方もあるらしい。が、果してそれも事実かどうだか。反省はもちろん結構だが、それはその折々にさえやればいいので、別に行状の跡までのこしておく必要はあるまい、総じていえば、人間の過去とはすべて排泄物である。わたし自身は排泄物についてなど、まったく関心がないし、排泄物を眺めながらの反省など、想像するだけでも滑稽である。

例の「菜根譚」に、「風、疎竹に来る。風過ぎて、竹、声を留めず。雁、寒潭を度る。雁去りて、潭、影を留めず」という一句がある。年来わたしの大好きな言葉だが、人間の行蔵の跡も、できればこうありたいものだと思う。あたかもたえて存在しなかったかのように、消えてしまえるものならは、これほど望ましい一生はないはずである。》