(巻三十)ゆるゆるとゆるゆる蛇に巻かれけり(佐藤文子)

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(巻三十)ゆるゆるとゆるゆる蛇に巻かれけり(佐藤文子)

7月27日火曜日

朝方、毛布を手繰り寄せた。台風は進路を北に取ったとのことだが午前中は風雨ともに強し。

午後、歯医者へ行く。抜かれた!仕方ないか。三割負担で1090円で、他に薬が650円と一安心です。新柏の歯科だとこの他に交通費が千円以上かかった。

午後になり、雨は上がったが風は音を立てている。

台風の仕舞ひの風に雨少し(きくちきみえ)

本日は四千百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。

どんな最期になるにせよ昏睡になるまでは金のことを気にしながらの(延命)治療になるのだろう。金の心配の点からもコロリと逝きたい。

「人間臨終愚感 - 山田風太郎徳間書店刊 半身棺桶 から

《 いつごろからか、洪水のように外国旅行するようになった。それでおびただしい外国旅行に関する文章が発表される。

> ふしぎにその中で、言葉に苦労した話を書いたものが少ない。言葉などというのは慣習で、ロンドンでは犬でも英語を解するが、日常英語を使わない日本人が、そんなに自由自在にあちらの人と会話出来るはずがないのに、それらの文章を見ると、日本語以上に、美術を語り、美食を語り、美女と語っているのに驚く。

> 同様に、人の死の偉大さ、悲惨さを語る文章はあっても、入院費や葬式代の苦労を語ったものはまれである。人が死ぬにあたって、死ぬ当人、残された遺族を苦しませる幾つかの要素のうち、金の心配は相当部分を占めると思われるのだが。-

> ただ、珍しく正宗白鳥の場合は、その片鱗が見られる。

> 昭和三十七年、白鳥は膵臓ガンで入院し、2カ月後「一文もないのだから、もう家に帰りたい」といった。老妻が全財産の十七万円の札束を一枚一枚数えて見せると、白鳥は首をふるしぐさで、ゲンコで妻の顔をポンポンとぶったという。

> これを読んで笑う人はまずなかろう。

> それからもう一つ、安藤広重も死ぬときに、「何を申すも金次第。その金というものがないゆえ、われらの存じ寄りなんにもいわず、どうとも勝手次第身の納り、よろしく勘考いたさるべく候」

> という遺書を家族に残している。

> その哀切さにおいて、私はこの遺書を最も身につまされるものとしている。》