「小鍋だて - 池波正太郎」日本の名随筆26肴 から

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「小鍋だて - 池波正太郎」日本の名随筆26肴 から

いま、私が小説新潮誌へ連載している〔剣客商売〕の主人公で老剣客の秋山小兵衛は、これまでに出合った何人もの人びとがモデルになっているし、やがては、おのれのことをも書きふくめることになったわけだが、その風貌は、旧知の歌舞伎俳優・中村又五郎から採った。
つぎに、一つのヒントをあたえてくれたのは、むかし、私が株式仲買店ではたらいていたころ、大変に可愛がってもらった三井老人だった。
三井老人は、私の友人・井上留吉の知り合いで、兜町の小さな現物取引店の外交をしていたが、いかにも質素な身なりをして兜町[しま]に通勤して来る。どこかの区役所の戸籍係のようで、とても株の外交をしているようには見えなかった。深川の清澄町の小さな家に、二匹の猫と、まるで娘か孫のような若い細君と暮していたが、金はたっぷりと持っていたようだ。
若い井上と私が、六十に近い三井老人と知り合ったのは、長唄の稽古と歌舞伎見物が縁となったのだ。
三井さんは、私たちに気をゆるすようになってから、
「宅へもお寄んなさい」
こういってくれ、それからは、しばしば清澄町へお邪魔をするようになった。
三井さんは長唄の三味線もうまかった。それでいて、他人前[ひとまえ]では決して唄わず、弾かなかった。
私どもが三井さんの腕前を知っていたのは、稽古へ行く場所が同じだったからである。

さて、いつのことだったか、よくおぼえてはいないが......。
二月に入ったばかりの寒い夜、私は深川で用事をすませた後に、おもいついて三井さんの家を訪ねた。
三井さんは、お客のところから帰って来たばかりで、長火鉢の前に坐り、晩酌をやっていた。
「ま、おあんがなさい。家のは、いま、湯へ行ってますよ」
「かまいませんか」
「さ、遠慮なしに......」
長火鉢に、底の浅い小さな土鍋がかかってい、三井さんは浅蜊のむき身と白菜を煮ながら、飲んでいる。
この夜、はじめて私は小鍋だてを見たのだった。
底の浅い小鍋に出汁を張り、浅蜊と白菜をざっと煮ては、小皿へ取り、柚子をかけて食べる。
小鍋ゆえ、火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。これが小鍋だてのよいところだ。
「小鍋だてはねえ、二種類か、せいぜい三種類。あんまり、ごたごた入れたらどうしようもない」
と、三井さんはいった。
このような、しゃれた小鍋だてではないが、浅草には三州屋とか騎西屋[きさいや]とかいう大衆食堂があって、小さなガス台の上に一人前用の銅や鉄の小さな鍋をかけ、盛り込みの牛なべ、豚なべ、鶏なべ、蛤[はま]なべなどがあり、早熟な私は小学生のころから、二十銭ほど出して、
「蛤なべに御飯おくれ」
などといっては、銀杏返しに髪を結った食堂のねえさんに、
「あら、この子、なまいきだよ」
と、やっつけられたこともある。
下町の子供は、何でも、
「大人のまねをしたがった......」
のである。
だが、そうした食堂の小鍋は、どこまでも一人前という便宜から出たもので、中のものを食べてしまえばそれきりだ。
三井さんのは、平たい笊[ざる]の上へ好きなだけ魚介や野菜を盛り、それを煮ては食べ、食べては煮る。
(いいものだな......)
つくづく、そうおもった。
おもったがしかし、当時の私は、まだ十代の若さだったから、小鍋だてをたのしむよりも、先ずビフテキだ、カツレツだ、天ぷらだ、鰻だ......というわけで、われから、
(やってみよう)
とは、おもわなかった。
三井さんも、また、
「こんなものは、若い人がするものじゃない」
苦笑して、強いてすすめるようとはしなかった。

ところが、四十前後になると、私は冬の夜の小鍋だてが、何よりもたのしみになってきた。
五十をこえたいまでは、あのころの三井さんのたのしみが、ほんとうにわかるおもいがしている。
小鍋だてのよいところは、何でも簡単に、手ぎわよく、おいしく食べられることだ。そのかわり、食べるほうは一人か二人。三人となると、もはや気忙[きぜわ]しい。
鶏肉の細切れと焼豆腐とタマネギを、マギーの固型スープを溶かした小鍋の中で煮て、白コショウを振って食べるのもよい。
刺身にした後の鯛や白身の魚を強火で軽く焼き、豆腐やミツバと煮るのもよい。
貝柱[はしら]でやるときは、ちりれんげで掬ったハシラを、ちりれんげごと小鍋の中へ入れて煮る。こうすれば引きあげるときもばらばらにならない。
これへ柚子をしぼって、酒をのむのは、こたえられない。
むろん、牡蠣もよい。
豚肉のロースの薄切りをホウレン草でやるのも悪くない。つまり、小ぶりの常夜鍋というわけ。
材料が変われば、それこそ毎晩でもよいし、家族も世話がやけないので大いによろこぶ。
だから私は、いわゆる〔よせ鍋〕とかいって、魚や貝や鶏肉や、何種もの野菜や豆腐などを、ごたごたといっしょに大鍋で煮て食べるのは、あまり好きではない。
それぞれの味が一つになってうまいのだろうけれど、一つ一つの味わいが得られないからだ。
大根のよいのが手に入ったときは、これを繊切[せんぎ]りにして豆腐と共に煮る。そのとき、豚の脂身[あぶらみ]の細切れをほんの少し入れ、柚子で食べるのも悪くはない。
いずれにせよ、三井老人がいったように、二種類か三種類。ゆえに牛肉のすき焼をするときも、私は葱をつかうだけだ。豆腐もシラタキも入れない。
鍋の種類によっては、おしまいに出汁を紙で漉[こ]し、これを熱い御飯にかけまわし、さらし葱のきざんだのを少し入れて食べる。
三井老人は深川が戦災を受けたときに亡くなったそうな。