(巻三十)菊日和いふにいはれぬお人柄(角田律子)

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(巻三十)菊日和いふにいはれぬお人柄(角田律子)

8月18日水曜日

夜半に大雨洪水注意報が、未明には強風注意報が出たそうだ。今、9時前だが曇り晴れで風が強い。洗濯物を外に出すのはやめた。

細君が生協へ出かけて、花屋さんでトルコ桔梗を買って帰った。紫のトルコ桔梗もあったそうだが、今朝入荷したピンクの方が長持ちするからと勧められたそうである。 茶の道も花の道も知らないが、淡色の単色というのは面白くない(一撮)。

花屋さんもチェーン店だから店長さんは異動し、ミカンちゃんを買うときにいろいろと教えていただき、翌年は植え替えまでしてもらったパートのおばちゃんはお辞めになったそうだ。

桔梗や男に下野の処世あり(大石悦子)

この句は巻十一に書き留めてある句だから15年くらい前に知ったのだろう。小吏だったから下野という生意気なことは云わないが、そろそろ定年退職が迫ってきた頃だ。今、閑居して古人との対話が楽しい。

糸電話古人の秋につながりぬ(攝津幸彦)

これから“上林暁”氏と語らうことにした。

不図[ふと]『上林暁全集十二』を借りてきた。上林暁氏の作品は、 『悲観しない病者』を日本の名随筆34で読んだだけである。私小説の作家ということである。全集の十二巻なので随筆とか書簡だろうと勝手に思い込んで予約して借りてきたが短編小説集のようである。奥付けによれば、〔二〇〇一年五月十日増補決定版第一刷発行〕となっている。そのころ葛飾区の図書館に納められたのだろうからかれこれ20年くらい図書館に“居る”のだろう。だが、本当にまっさらの手付かずの新品状態だ!(一撮)

30くらいの作品が収められていて「大垣は」、「堀清造氏は」、と三人称の作品も少しはあるが、大半は 「私は」と一人称だ。上林暁氏のことは随筆集の巻末著者紹介程度しか知らないが、全集十二の作品は自身の体験を下地しているのだろう。いや体験を少し脚色しただけなのかもしれない。 中から、『市中隠栖』という作品をしっかり読むことにした。日常のスケッチであり、メッセージが何かもよく分からない。

夕方の散歩。白鳥生協の中にあるスギ薬局へ洗濯洗剤を買いに歩いた。単純往復。本日は四千七百歩で階段は3回でした。

願い事-叶えてください。流行り病でも仕方ないと思ってますが、手短に、苦しめずに、細君より先にお願いします。

> 「悲観しない病者 - 上林暁」日本の名随筆34 から

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> 私は中風で、もう十一年寝ついている。六十歳になってから、一度も風呂に入らないし、一度も歩いたことがない。利くのは左手だけで、右手や両足は利かない。幸い頭が呆けていないので、作家としての渡世ができている。おかげで、生活がかつがつに出来ているほどの原稿料や印税が入る。おまけに芸術院会員としての年金があるので、生活の不安はない。

> 長期の病人にしては、メソ、メソしない。暗くない。悲観もしていない。私小説作家だから、書く小説、書く小説に、中風が出て来るが、泣き言やぐちはこぼさない。別段そうしようと思って、そうするわけではないが、いつのまにか、自然にそうなっているのである。一言でいえば、実生活からも、作品からめ、病人らしくないのである。それというのも、普段あまり苦痛をともなわない病気のせいである。からだの大部分がマヒしているので、苦痛があるのは、しょっちゅうのことであるけれども、例えば、ガンのように苦しさが堪えがたいというほどではない。それでも、余命いくばくないような心細い気持におそわれるときもある。そんなときには、近所に住んで、同い年である河盛(好蔵)さんが、元気でやっているのを思い浮かべて、そんな悲観的な気持ちなんか吹き飛ばしてしまう。

> 初めのころは、退屈して時間をもてあますことがあると、ある友人に電話をかけ、「お顔を見せに来て下さい」と頼んだものだった。その友だちは交通事故で急死したので、今日では、そういう親しい友人もいない。時間をもてあますこともない。一日の時間が足りないほどだ。執筆(毎日は書かない。随時書く)読書(毎日少しずつ。一日に三冊ずつ、平行して読む)。目下は、村山古郷「石田波郷伝」岩波文庫ドン・キホーテ日本文芸家協会編「文学1973」。食事(三度三度待ちかねる。なにを食べてもおいしい。なかんずくトマトと生卵)。大小便(便秘がひどかったけれど、今は正常である)。テレビ、新聞。その間には、来客、指圧、はがき、清拭[きよふき]などが加わる。退屈するひまがない。すっかり疲れてしまう。

> そうかといって、夜は眠れない。夜の一時から五時までは、ほとんど一睡もできない。眠れないからといって、あわてない。眠り薬を飲んだりはしない。初めのうちは眠り薬を飲んだりしたが、今は飲まない。眠れないときは、眠れないままに放置する。昼寝で取り戻すのである。一日のうちに、所定の時間だけ眠るようにするのである。

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> 川端康成氏の晩年の作に「竹の声桃の花」というのがある。最近では同じ題の小説集が出ている。これは恐らく、道元法話集「正法眼蔵随聞記」のなかの「見ずや竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らむ」から取ったものであろう。私も二、三十年むかし「正法眼蔵随聞記」を読んでいて、この文句に出会ったとき、目の前がパッと明るんだような気持がした。その時分、私は心身共に萎えて、気息奄々として暮していたものだが、その文句に出会うと、生き返ったような心持だった。それだけ生きる力を与えられたのであろう。私はその文句が好きになって、色紙を求められれば、その文句をしたためたものだった。

> 現在、私はその文句に出会っても、少しも感激しない。美辞麗句の骸骨を見るような気がする。むかしのような精神状態にいないからである。むかしは、宗教家やモラリストの本を読んで、溺れるものが、わらにでもすがるようだったが、今はそんな本を読もうとは思わない。生活が好転したので、わら一すじにすがったりする必要がなくなったのである。

> 病気をして、生活が好転したというのは、可笑[おか]しなことだ。事実好転しているのだ。例えば、酒もタバコもあれほど好きだったのに、いまはちっとも飲みたくない。酒をやめてからお金の無駄使いをしない。それだけ経済的にゆとりを生じた。酒を飲んでいる時分には二日酔をして困った。二日酔する度に、良心の痛みを感じた。いまではそういう痛みを感じない。健康のためにも良い。いつも心が平静である。中風になったのは、身の破滅の一歩手前まで行っていたのである。考えてみると、ゾッとするほど恐ろしい。

> 最近、私は小説集を一冊出した。不自由な体で本を出すことは偉いと言ってくれる人が多い。ありがたいことにはちがいないが、不自由な体でもできる文筆業という職業を持っている自分を幸福だと思わずにはいられない。これがほかの職業であったら - サラリーマンや医者だったら、こうは行かない。

> 病者をかいて、明るいことばかり書いた。暗いことは一言も書かない。強がりを言うのでもなく、うわべをつくろうためでもない。七十歳という時点において、ごく自然のことを書いたのである。将来、どんな最晩年が来るのか予測することはできない。

> 明るい病者のこころが書けるのは、全く妹のおかげである。妻のない私は、妹の看病で毎日を過ごしている。