1/2「なんとかなる(仮題) - 勢古浩爾」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

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1/2「なんとかなる(仮題) - 勢古浩爾」宝島社刊『60歳からの新・幸福論』から抜書

「なんとかしてきた」から定年後も「なんとかなる」

この本に限らないが、「~しなさい」系の定年本にプレッシャーを受け、私も何かしなければいけないのか、と焦るのはよくない。世間(他人)に自らの生き方がどう映るのかが気になり、また、「この著者は充実した定年後を送るうまい方法を知っているかもしれない」と期待して定年本に頼るのだろうけど、はっきり言って、誰も何も知りません。知っているふりはしているけど。人は世間のために生きているわけではないうえ、その世間は、口は出しても責任は取ってくれない。定年本がそね典型である。
そもそも定年後は、「定年まで、自分がどのように生きてきたか」の延長です。定年になって、新たにリセットされて、何かが新しく始まるわけではない。それは、今までどう生きてきたかに尽きている。金が貯まってなければ、それ以後も貯まらないだろう。急に健康になるわけでもなければ、ズボラだった性格が真面目になるわけでもない。それなのになぜ、「老後資金は大丈夫か」「○○を食べないと長生きできない」などの言葉に怯え、大学教授や大企業に勤めた人たちの定年本を読むのか不思議でならない。
定年は誰にとっても初めての経験である。だから不安にもなるのだろうが、考えてみれば、幼稚園に入る時や小学校の入学、さらには大学も社会人デビューもすべて初めての経験だったではないか。幼稚園は、子ども心にはとても恐怖だったはずである。知らない人ばかりの何もわからない場所に、いきなり放り込まれるわけだから。
それでもみんな、なんとかやってきたではないか。仕事を含めて自分一人の力でやってきた経験があるわけだから、定年後もなんとかでき、なんとかなるに決まっている。それにあなた自身の状況を知っているのは、あなた以外にはいないのである。そう考えれば、人に自慢できるようなことがなくても、贅沢な定年後の生活ができなくても、平穏に生きていられるだけで幸せではないか。あなたの定年後を考えるのに最適任者は、あなた以外にいないのである。

 

「通勤地獄」から解放された喜び

私の退職後の生活は11年目になる。日常生活で楽しいことや幸せなことはなんだろうと聞かれれば、まあ幸せとも思わないが、「通勤をしなくていいこと」だろう。勤めていた会社は東京の御茶ノ水にあった。私の自宅がある埼玉県の町からは東武線と地下鉄・千代田線を乗り継いで行くことになる。この千代田線が当時「日本一混む」路線といわれ、いつもすし詰め状態で、まあひどかった。乗換駅の北千住は混雑で入場規制がしょっちゅうでホームに入れない。電車が来ても2~3回はやり過ごさなければ乗車できないというありさまだから、この通勤が嫌で嫌でたまらなかった。
このストレスが、今はない。もう常態化しているからそんなに意識することはないのだが、会社に行かなくていいというのは、実は夢のようなことである。そのためテレビのニュースで、台風で入場規制されても駅前に並んで出勤するサラリーマンたちをみると「偉いなあ」とか「日本人はなんて勤勉なんだ」と思うと同時に、「たまには休めばいいのに」と思ってしまう。会社も、そんな日は来なくていい、と言えよ。
会社には通勤が嫌だと思いながらも、入社から20年ぐらいは無遅刻無欠勤で通った。だが、40歳を過ぎたあたりから文章を書くようになり、それが出版してもらえるようになった。それからいろいろと注文が入るようになり、50歳頃から文章を書くのが日常化してくる。夜中の2時頃まで書いたり、下手をすると徹夜をして会社に行くようになった。段々ときつくなってきた。
それでも「本業は会社、文筆は余儀」という意識でやっていた。しかし徐々に、文章を書いているほうに比重がかかるようになり、ついには遅刻はする、半休はする、無断欠勤はする、という不良社員になった。それが最後の5年間くらいだろうか。もちろん、会社は黙っていなかった。始末書は2、3回書いたし、無期限の給与10%カットまでくらった。当然のことである。
ただ私は仕事が嫌いではなかった。だから、出勤態度は不良なのだが、仕事は真面目にやっていた。しかし、社員のなかには、出勤時間だけはきちんとしているが、仕事をしない輩がいるのである。「どっちがいいんだ?」「どっこいどっこいだろ!」と思い始めると「限界」がきた。「どっこいどっこい」ということはなく、わたしが悪いのは一目瞭然である。定年まで6カ月を残して退職する道を選んだのである。

 

条件が許すなら、何もしなくてもいい

定年後の日常生活のパターンはほとんど変わっていない。私はだいたい朝の6時頃まで起きている。何をやっているかといえば、テレビや映画を観たり、本を読んだり、たまに原稿を書いたりしている。テレビで一番好きなのは深夜時間帯に放映されるオリンピックやサッカーW杯、テニスのウィンブルドン世界陸上などの国際的なスポーツイベントだ。昔からテレビ派で、テレビがないと生きていけない「ノーテレビ、ノーライフ」人間である。
よく、「テレビなんてなんの役にも立たない」と言われるのだが、もちろんくだらない番組も多いが、ドキュメンタリーなど面白い番組は探せばある。テレビドラマはWOWOWのドラマが秀逸である。
ということで、寝るのは朝の6時頃から昼頃までとなる。それ以後は、台風で傘がさせない天候以外の日は、365日、基本的には自転車に乗って外に出ることになる。まずは朝昼兼用の食事をとる。「今日は何を食べようか」という、他人から見たらどうでもいいことが、私には楽しい。駅前にある店はB級グルメばかりなので、好物のかつ丼や牛丼、ギョーザ定食など脂っこいものばかりを食べることになる。
その後は喫茶店で本を読んだりしながら2~3時間は平気でいる。そしてショッピングモールで書店などをぶらつき、家に帰るのは夕方の6時頃。こんな生活を、ほぼ10年続けている。しかしこうして書いていると、全然魅力的でない生活であることがわかる。だが、それでけっこうだ。私は、この生活を満喫しているわけではない。ただ、平穏そのものだし、24時間を自由に使えるということは気に入っている。誰に気兼ねすることもなく好きなテレビを観て、いつ起きて、いつ寝ようが構わない(こう書いた直後、脳梗塞に襲われた。幸い重篤な後遺症は残らなかったが、喫煙、脂っぽい食べ物、などは今後禁物である)。
だから私は、定年後をどう生きたらいいかについては、「自分の好きにすればよい」の一言に尽きると思っている。
私は、本人が好きなら、そして条件が許すなら、何もしなくてもいいと考えている。実際、定年後の私はほぼ何もしていない。「何も」とは、識者たちが提唱する「資金運用」や「地域デビュー」や「ボランティア」などをしていないということである。また、普通の人たちが趣味としてやるような「ウォーキング」や「釣り」や「カラオケ」などもしていない。私はお酒が飲めない。そのため、誰かと連れだって飲みに行くこともない。
他人の楽しみは、必ずしも自分の楽しみではない。