「シェイクスピアの四大悲劇(「ドラマと運命」から抜書) - 木下順二」日本の名随筆96運から

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シェイクスピアの四大悲劇(「ドラマと運命」から抜書) - 木下順二」日本の名随筆96運から

紀元前五~四世紀に驚くべき完成度で見事な花を咲かせたギリシア悲劇は、また世界演劇史上、初めての完成された演劇でもあった。世界演劇史上、その次には紀元前三世紀から紀元一世紀にかけてローマ演劇の時代がくるが、大ざっぱにいうとローマ演劇は、すぐれた喜劇を生みだしたことと、劇場機構を発達させたこと以外には、ドラマの質を、ギリシアのそれより高めるということはなかった。
続けて大ざっぱないいかたをしてしまうが、そのあとに、西ローマ帝国の滅亡からコロンブスアメリカ大陸発見あたりまでの、つまり十五世紀後半までの、中世という十世紀ほどが来る。カトリック教会がヨーロッパを支配した時代で、教会は享楽的なものを抑圧し、従って演劇をも抑圧し、そこに生まれた芸術は、音楽、美術、建築など、すべて宗教に関するものだけであった。もし演劇に類するものがそこに存在したとすれば、民族的な舞踏や、旅芸人が大道で演じる芸当のようなもののみであった。ギリシア・ローマの演劇伝統はこの時代の中で、内陸河のように消えてしまわねばならなかった。そしてそれらの伝統は、その次にくる文芸復興期に改めて掘り起こされねばならなかったが、それらの掘り起こし作業と、スペインやイタリーやイギリスやフランスなど、それぞれの国の中で新しく吹き出した演劇の芽とが合わさって、世界演劇史上、三度目の演劇全盛期がここに出現し、そこでの、チャンピオンたちの中のチャンピオンがシェイクスピアである。
シェイクスピアは、運命という問題をどのように考えていただろうか。
二六歳あたりから戯曲というものを書き始め、その後の二〇年で三六、七篇の戯曲を(相当量の詩のほかに)書き、筆力はまだ衰えないのに書くことをやめ、五年ほど悠々として故郷で過して、五二歳という若さで平穏に死んだこの不思議な天才の仕事を、ここでは大きく前半と後半に分けて考えてみよう。

前半期における喜劇の代表作は『ヴェニスの商人』、悲劇の代表作は『ローミオーとジュリエット』。三〇歳と三二歳のときの作品である。
ヴェニスの商人』というのは、底ぬけに明るい戯曲である。“大英帝国”の基礎をそのとき築き始めていたエリザベス朝英国は、国威文運まさに溌剌、資本主義という新しい時代の担い手としてそこに初めて姿を現わしたブルジョワジー=“商人”は、未来の見通しについて全く楽天的であった。金貸しのユダヤ人という、当時諸悪の根源とされた諸要素を一身に備えるシャイロックから、一時はどんなに脅かされようと、結局は商人が勝つのだというのが、この戯曲の書かれた時点での一般の、またシェイクスピアの、従って『ヴェニスの商人』という戯曲が持っている思想であった。
ローミオーとジュリエットという二人の主人公は、悲劇の主人公らしく最後には死ぬ。しかしその死は、既に過去のものである封建制の、その遺制を代表する二つの旧家のふるくさい争いの犠牲となって死ぬのである。死ぬことによって旧いものを克服した勝利の死なのである。『ローミオーとジュリエット』は悲劇に違いないけれど、その意味で、実は明るい悲劇であるといえる。
そのように明るい作品を書き続けていたシェイクスピアが、突然のように暗いおもざしを見せだすのは、三五歳を過ぎるあたり、時代が十七世紀にはいるところからである。
暗うつな戯曲『ハムレット』が一六〇〇年に書かれ、喜劇も解き難く謎めいたものへと転調し、悲劇は『オセロー』、『リア王』そして『マクベス』と、後世四大悲劇と呼ばれる一種不可解な深みを持つ四つがたて続けに書かれる。前期のあの、未来を信じる明るさは、作品の中から全く消えてしまう。
それは恐らく、と私は考える。シェイクスピアの眼の前にある時代そのものが不可解になって来たからである。あの溌剌とした初期資本主義が実は内部にはらんでいたさまざまな矛盾が、急速に社会の表面に噴出して来たからである。インフレとデフレの急速な連続。悪徳と偽善がはびこり、誠実と勤勉が無能と同義語になるような風潮。時代のこのような変りかたがいかに速いものであるかは、戦後日本の私たちもよく知っている。
明るい未来をあのように楽天的に信じることができた前半期を思い浮かべつつシェイクスピアは、この世とは一体、と、初めて考えこんだのではないかと私には想像される。人間、この不可知なるもの。時代とは、歴史とは、そして運命とは......。
戯曲の中にみる運命という問題を考えるための、最もよい材料ではあるまいかと、シェイクスピアの四大悲劇のことを、私は考えるのである。