「ゆず湯(冒頭抜書) - 岡本綺堂」旺文社文庫 綺堂むかし語り から

f:id:nprtheeconomistworld:20210919102034j:plain

 

「ゆず湯(冒頭抜書) - 岡本綺堂旺文社文庫 綺堂むかし語り から

本日ゆず湯というビラを見ながら、わたしは急に春が近づいたような気分になって、いつもの湯屋の格子をくぐると、出あいがしらに建具屋のおじいさんが湿[ぬ]れ手拭で額を拭きながら出て来た。
「旦那、徳がとうとう死にましたよ。」
「徳さん......。左官屋の徳さんが......。」
「ええ、けさ死んだそうで、今あの書生さんから聞きましたから、これからすぐに行ってやろうと思っているんです。なにしろ、別に親類というようなものは無いんですから、みんなが寄りあつまって何とか始末してやらなけりゃあなりますまいよ。運のわるい男でしてね。」
こんなことを云いながら、気の短いおじいさんは下駄を突っかけて、そそくさと出て行ってしまった。午後二時頃の銭湯は広々と明るかった。狭い庭には縁日で買って来たらしい大きい鉢の梅が、がらす戸越しに白く見えた。
着物をぬいで風呂場へゆくと、流しの板は白く乾いていて、あかるい風呂の隅には一人の若い男の頭がうしろ向きに浮いているだけであった。すき透るような新しい湯は風呂いっぱいに漲って、輪切りの柚があたたかい波にゆらゆらと流れていた。窓硝子を洩れる冬の日に照らされて、陽炎のように立ち迷う湯気のなかに、黄いろい木実[このみ]の強い匂いが籠っているのも快かった。わたしは好い心持ちになって先ずからだを湿[しめ]していると、隅の方に浮いていた黒い頭がやがてくるりと振り向いた。
「今日は。」
「押し詰まってお天気で結構です。」と、私も挨拶した。
彼は近所の山口という医師の薬局生であった。わたしと別に懇意でもないが、湯屋なじみで普通の挨拶だけはするのであった。建具屋のおじいさんが書生さんと云ったのはこの男で、左官屋の徳さんはおそらく山口医師の診察を受けていたのであろうと私は推量した。
左官屋の徳さんが死んだそうですね。」と、わたしもやがて風呂にはいって、少し熱い湯に顔をしかめながら訊いた。
「ええ、けさ七時頃に......。」
「あなたのところの先生に療治して貰っていたんですか。」
「そうです。慢性の腎臓炎でした。わたしのところへ診察を受けに来たのは先月からでしたが、何でもよっぽど前から悪かったらしいんですね。先生も最初からむずかしいと云っていたんですが、おととい頃から急に悪くなりました。」
「そうですか、気の毒でしたね。」
「なにしろ、気の毒でしたよ。」
鸚鵡返しにこんな挨拶をしながら、薬局生はうずたかい柚を掻きわけて流し場へ出た。それから水船のそばへたくさんの小桶をならべて、真っ赤に茹[ゆで]られた胸や手足を石鹸の白い泡に埋めていた。それを見るともなしに眺めながら、わたしはまだ風呂のなかに浸っていた。表には師走の町らしい人の足音が忙しそうにきこえた。冬至の獅子舞いの囃子の音も遠くひびいた。ふと眼をあげて硝子窓の外をうかがうと、細い路地を隔てた隣りの土蔵の白壁のうえに冬の空は青々と高く晴れて、下界のいそがしい世の中を知らないように鳶が一羽ゆるく舞っているのが見えた。こういう場合、わたしはいつものんびりした心持ちになって、何だかぼんやりと薄ら眠くなるのが習いであったが、きょうはなぜか落ちついた気分になれなかった。徳さんの死ということが、私の頭をいろいろに動かしているのであった。
(中略)
こんなことをそれからそれへと手繰[たぐ]り出して考えながら、わたしはいつの間にか流し場へ出て、半分は浮わの空で顔や手足を洗っていた。石鹸の泡が眼にしみたのに驚いて、わたしは水で顔を洗った。それから風呂にはいって、再び柚湯に浸っていると、薬局生もあとからはいって来た。そうして、又こんなことを話しかけた。
「あの徳さんという人は、まあ行き倒れのようにしんだんですね。」
「行き倒れ......。」と、私は又おどろいた。
「病気が重くなっても、相変わらす自分の方から診察を受けにかよって来ていたんです。そこで今朝も家を出て、薬罐をさげてよろよろ歩いてくると、床屋の角の電信柱の前でもう歩けなくなったんでしょう、電信柱に寄り掛かってしばらく休んでいたかと思ううちに、急にぐたぐたと頽[くず]れるように倒れてしまったんです。床屋でもおどろいて、すぐに店にかかえ込んで、それから私の家[うち]へ知らせて来たんですが、先生の行った頃にはもういけなくなっていたんです。」
こんな話を聴かされて、私はいよいよ情けなくなって来た。折角の柚湯にも好い心持ちに浸っていることは出来なくなった。私はからだをなま拭きにして早々に揚がってしまった。