「家のめぐり - 若山牧水」日本の名随筆26肴 から

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「家のめぐり - 若山牧水」日本の名随筆26肴 から

先づ野蒜[のびる]を取つてたべた。これは此処に越して来た時から見つけておいたもので、丁度季節なので三月の初め掘つてみた。少し過ぎる位ゐ肥えてゐた。元来此処の地所は昨年の春までは桃畑であつた。百姓たちが桃畑の草をとつて畑つづきの松林の蔭に捨て、毎年捨てられた草が腐つて所謂腐草土となり、その腐草土の下にこの野蒜は生えてゐたのである。しかも無数に生えてゐる。ざつと茹でて、酢味噌でたべる。いかにも春の初めらしい匂ひと苦味とをもった、風味あるものである。
神武天皇だかの御歌の中に『野蒜つみに芹つみに......』といふ句のあるのがあるが、わたしは郷里で幼い時よくこの野蒜つみ芹つみをやつた。野蒜は田圃の畦にあり、芹は水気をもつた田中の土に生えてゐた。どうしたものかこの野蒜つみはわたしのすぐ上の脚の不自由な姉と関係して考え出される。多分一二度も一緒に行つたことがあつたのであらう。それでも水田のくろを這ふ様にして摘んで歩く彼女の姿を端なくも見出でた記憶が残つてゐるのかも知れぬ。
つぎに嫁菜をよく摘んだ。これは寧ろ細君の方が先に見つけそして彼女の好みで摘んだものである。家の東は桃畑となってゐるが、二三人の百姓しか通らぬ桃畑の畔にも桑畑の畔にもいつぱい生えて居る。ほうれん草にも飽く頃で、一二度はおいしいものである。
たんぽぽの根は、牛蒡の様に、きんぴらにしてたべる。柔かだつたら牛蒡と違つた味をもつてゐてうまい。東京にゐた時、まだ学生の時分、戸山ヶ原で掘つて帰つて下宿の内儀を困らせたことがある。稀に八百屋の店さきでも見かけたことがあった。此処では誰も見返りもしない。
家の東と北は畑で、西と南は庭さきから直ぐ大きな松林となつてゐる。所謂沼津の千本松原の続きで、ツイ先頃までは帝室御用林であつたが、今は県が払下げてしまつた。二三町三四町の広さで、海岸ぞひに四里近い長さを持つた松原である。この松原の他と違つてゐるのはその下草に種々の雑木が繁茂してゐる事である。松は多く二抱へ三抱への大きさで聳え立ち、その枝や幹の下蔭に実にいろいろな木が茂ってゐるのである。で、海岸の松原といふものの、中に入つてしまへばいかにも奥深い森林らしい感じがする。その雑木のなかにわたしは楤[たら]を見付けて喜んだ。
楤[たら]の芽はうまい。これも季節の味で、その頃になれば自づと思ひ出さるる。そしてなかなか手に入らぬものの一つである。この木は竿の様な幹で、幹にとげを持つて居るそして芽は幹の尖端に生ずる。枝を持つたのもあるが、先ず幹だけの一本立が多い。何しろとげだらけの幹を撓[たわ]めて摘むので、なかなか骨が折れる。そしてその芽のやや伸びて葉の形をなしたものには裏にも表にもまたとげを生じて居る。この木が不思議とこの松原の中に多いのだ。庭さきから林に入つて行けば早や四五本のそれを見るのである。晩酌の前に一寸出かけて摘んで来ることが出来る。但し、番人に見つかればこれは叱られるに相違ない。
楤[たら]を探しつつくさぎの芽をも見付けた。臭木と書くのであらうとおもふが、この木はその葉も枝も臭い。ただ、若芽のころ摘んで茹づればそのくさみは抜け、歯ざはりのいいあへものとなるのである。
ともに味噌あへにするのであるが、楤[たら]には少し酢を落すもよい。楤[たら]の芽の極く若い大きいのだと、紙に包んで水に湿めし、それを熱灰に入れてむし焼にするのが一等うまい。独活[うど]の野生の若いのをもまたさうしてたべる。これは然し、ほんの一つか二つ、初物として見出でた時に用ゐらるる料理法でもある。つまり非常に珍重してたぶる謂[いひ]である。
二階などからはわたしの庭とも眺められるその松原にはまた無数の茱萸[ぐみ]の木が繁つてゐる。それこそ丈低い林をなしてゐる所がある。苗代ぐみもあれば秋茱萸[ぐみ]は今が丁度熟れどきである。昨日の朝、浜に出て地曳を見てゐた。そして一緒に網のあがるのを待つてゐた二人の娘がいつか見えなくなつた。程なく帰つてきた彼等はわれ先にと『阿父さん、手をお出しなさい』といふ。見れば二人ともに袂にいつぱう赤い小さな粒々の実を摘みためてゐるのであつた。
松原で咲く花のうち、最も早く咲いた木苺の花は既に散つて、こまかな毛を帯びたその青い実が見えて来た。そして森なかの常盤木にからんで枝垂れてゐる通蔓草[あけび]の花がいま盛りである。桃畑であつた時のままに置いてある家の垣根にもこの蔓草はいつぱいにからんでゐる。