「LSDの世界 - 馬場あき子」日本名随筆別巻78毒薬から

LSDの世界 - 馬場あき子」日本名随筆別巻78毒薬から

きくところによると、キリンという動物はたいへん女性的な性格で、好奇心がつよく、その上、きれいなものの魅力にひかれやすいのだという。
しかしキリンの好むきれいさとはいったいどんなものなのだろう。あの背の高さでは遠目はきくし、動物の中ではかなり外向きの性格で、〈へんなもの〉であればすぐ目について寄ってゆくというたぐいなのだろう。
それに比べれば私などは背は低いし遠目もきかないが、せまい生活範囲の近目ぐらしの中でも、とにかく好奇心に動かされて〈へんなもの〉が好きだという点ではキリン的だというべきかもしれない。
そうしたなかからいろいろ思い出してみると、キリン的好奇心やみがたく実行して、あれだけはすばらしかったという体験は、やっぱり、LSD25の注入実験ということになろう。
あれは昭和三十三年の春のことで、何でも夕方からはじめてかなり夜更けまで幻覚の世界をさまよったあげく、翌日の朝起きてもなお後味は残っていて、庭に散りしいた椿や薔薇、桜の花の色の重なりが夢のように美しく、煽情的であったのを思い出す。
LSDは発狂薬などと呼ばれていたと記憶する。まだ、破滅的な麻薬としての認識よりも、狂気に逆作用するかもしれない有効薬としての可能性が未実験のまま残されているという段階にあった。
私はある日、某画伯が実験者として服用して画いた絵がピカソ風の解体と総合の世界への傾向を、より情感的にもっているのをみて、たちまちキリン的心情にとりつかれ、この遠く妖しい幻覚の国に出かけたい欲望に取りつかれた。こうして実現した一夜の体験は、その後、雑誌『短歌』(昭34・5)に載せられ、さらに『現代詩手帖』(昭46・5)に再録されたが、実験材料としての私は、折ふし放胆な若気のほこりにみちていたし、医師のつきそいによる安心感から、かなり饒舌であった。
いま、その経過を詳しく述べる紙数はないが、緑、金、朱、黒、碧、白、銀等に彩られた色彩幻覚の豊潤さは忘れることができない。しかし、そうした美的な陶酔が、潜在意識としてあったさまざまな抒情の源泉を思い知らせてくれたのはたしかである。
私は緑の霧の絶えず涌き上がる山上に在って、下界を見下す巨人になったり、小さなガスストーブの火の色が、遠景の劇場の舞台のゆうに生き生きしているのにはしゃいだり、白銀の壁面に次ぎ次ぎにあらわれるファンタスティックな形象に見とれたりした。あるいはまた、砂浜に遺棄された錯覚のなかで、降り積る時間を花びらのように幻覚したり、このような孤独のあとに一転して暗黒の地獄へのエレベーターが、歪みつ膨れつやってくるのを怖れたり、ふしぎな感覚的な罪悪感にわけもなく涙ぐんだりした。

また、わずか数時間の経過を何年も生きたような充実感とともに受けとめ、建造物や、日常的な風景のことごとくが破壊され、書き割のように安っぽく変質しているのをみつつ、これこそ人生の本質だと断言したり、常識的な既成の権威のもっとめらしさがおかしくなって、突然げらげらと笑い出したりした。
夜更けて、まださめやらぬ興奮を抱きながら、医師に送られて帰る道すがら、この世のものとも思われぬ光彩にかがやく果実店に目をみはり、私は躊躇なく店内に入って宝物のように美しいバナナやりんごをもてあそんだ。全くすでに正気に戻っていると信じながらも奇跡のような色彩感に圧倒されての行為だった。
赤面しつつ弁解する医師に連れ出されて、それから電車に乗った。車内の座席をみわたすと、いるわいるわ、滑稽と奇妙にみちみちた漫画的面貌が、頬をりんごのようにふくらしたり、鼻をピノキオのようにとんがらせたり、木の実のように目を窪ませたり、それぞれが自在勝手の自己主張にけんめいである。
私は「漫画だなあ、漫画だなあ」と連発しつつ、この見世物的人間の座る車内を行きつ戻りつし、医師は恐縮しながら小さくなって後からついて歩いた。
とにかく豊饒な一夜であった。ただ、それに続くまる一日ほどの疲労感と倦怠感は、まるで腑抜けのように無気力で、若い肉体でなければとうてい回復は不可能である。
とはいえ、この実験は私にとってはかなりの大成功で、まさに人生に疲れはてたたそがれなどに、玉手箱を開くようにLSDに身をまかせられたらどれほどしあわせかと思われた。しかしまた、きくところによると、LSDはつねにこのように明るく豊かな世界を開いてくれるとは限らないらしい。いらいらと絶望、暗黒と恐怖、凶暴性のめざめなど、さまざまな精神的地獄との出合いを、忘れがたく身に残してしまう人もあるのだという。
いってみれば私の場合、ばかばかしく楽天的な、警戒心の欠如した若さが、色彩幻覚の場にうまく作用してくれた僥倖によって得られた満足だったといえるかもしれない。