「駅そば - 小林勇」日本の名随筆93駅 から

 

「駅そば - 小林勇」日本の名随筆93駅 から

駅で売っている弁当を駅弁というのだから、駅そばといってもいいのだろうと思う。駅弁は、買って、多くは汽車の中へ持ち込むのだが、そばはプラットホームなどで立っていて急いで食うところが違う。
駅でそばを売り出したのは、いつ頃で何処が最初か私は知らない。しかし私のかすかな記憶を辿って見ると、五十年くらい前に、横川か軽井沢で売っていたと思う。横川と軽井沢では、機関車を取り換えるため、五分か十分停車したので、旅客も悠々とプラットホームを歩いて、息をぬいたものだ。
それに、そばは信州の名物とされていたから、軽井沢あたりが最初か、そうでなくても、ともかく早い方だったと考えて差支えあるまい。今のように早業で客に丼を出せなかったから、停車時間の長い駅の必要もあったのだろう。
最近は東京都内や周辺の駅にもだんだん設けられ、いずれも繁昌しているようだ。繁昌するにはそれだけの理由がある。安く、その割にうまくて早いからだ。
そばは以前上等の食いものとは考えられていなかったと思う。うまいそばは通人の愛するものであったろう。しかし一般的には大衆の安あがりの食物とされていた。そば屋は、どこの街のも貧しげな構えであった。そば屋が今のように客が多くなったのは、戦後のことだ。昔は夜も仕事をして、銭湯にゆき、空腹になってぬれた手拭と石鹸箱をもったまま、そば屋によって、かけかもりを一杯食うというのが私たち丁稚小僧のたのしみだった。
近頃は、少しうまいと評判になると、会社の車にのった重役などがやって来て、通人ぶって、ずるずるやっている。同じそばを売っているところでも安くうまいとなると、働く人や、学生や若い人が集っている。貧しい人が多い証拠だ。
私も駅そばの愛好者の一人だ。丁度昼飯時に、病院へ行っているので、食いそびれることが多い。電車の乗り換えの駅のホームにそばやがある。一度試みに、そこでやって見た。寒い日だった。風の吹き通す所で天ぷらそばを食ってみると意外にうまい。寒い時の空腹だからだけとは考えられなかった。注文すると間髪を入れずに出して貰える。熱い奴に、薬味のねぎをたっぷり投げ込んで、食い出すと、上にのせてある名ばかりのかきあげに汁が滲みてやわらかになり、厚いころもが溶け出して、汁がうまくなる。
早くて安くてうまいという三拍子が揃っているのだから、食物通と称するしゃれ者の叱言など通用しない。駅そばやでは、そばのもり、かけ、天ぷらそば・うどん、玉子そば・うどんを売っている。一番多く出るのは、天ぷらそばだ。こういう所へ来る人は、それがうまいことをよく知っているのだ。
狭い作業場の中には、二、三人の小母さんたちがなれた手順で客の注文をさばいている。客が立つとすぐ注文をきき前金をとる。もり、かけ百二十円、天ぷら百六十円だ。用意してある、丼入りのそばに天ぷらを一個のせる。煮えたぎっている汁をたっぷりかける。汁の鍋は深い桶のような形で、ガスの火が下に見える。汁が少し減ると別の缶から加え、それが沸くまでは、他の鍋のを使っている。
或る日、それまで見たことのない爺さんがもたもたしてやっていた。客がかけを注文すると、ぬるくなった方の汁をかけて出した。まずいなと思って見ていると、客は二口、三口食うと丼を投げ出して、「生ぐさい」といってしまった。
夏でも熱い天ぷらそばがよく売れる秘密がここにあると思った。駅そばは、あらかじめゆでたのを玉にしてあるのだから、熱い汁、天ぷらがその特色を助け欠点を補うのだ。
初代吉右衛門は、そばを食いにゆくと、もりと天ぷらそばを注文し、もりを食ってから天ぷらをゆっくり食った。或る食物にやかましい人が、そば屋で酒をのむ時、天ぷらそばをとり、ゆっくり飲んでいて、そばはのび、天ぷらのころもが溶けるのを肴にするといった。天丼は飯になじんだ頃食うのがうまいのと同じことであろう。