「路地 - 永井荷風」日本の名随筆巻90道から

f:id:nprtheeconomistworld:20211203084142j:plain

 

「路地 - 永井荷風」日本の名随筆巻90道から

鉄橋と渡船との比較からここに思起されるのは立派な表通の街路に対して其の間々[あひだあひだ]に隠れてゐる路地の興味である。擬造西洋館の商店並び立つ表通は丁度電車の往来する鉄橋の趣に等しい。それな反して日陰の薄暗い路地は恰[あたか]も渡船の物哀にして情味の深きに似てゐる。式亭三馬が戯作浮世床の挿絵に歌川国直が路地口のさまを描いた図がある。歌川豊国はその時代(享和二年)のあらゆる階級の女の風俗を描いた絵本時勢粧[いまやうかがみ]の中[うち]に路地の有様を写してゐる。路地は其等の浮世絵に見る如く今も昔と変りなく細民の棲息する処、日の当つた表通からは見る事の出来ない種々[さまざま]なる生活が潜みかくれてゐる。侘住居の果敢[はかな]さもある。隠棲の平和もある。失敗と挫折と窮迫との最終の報酬なる怠惰と無責任との楽境[らくきやう]もある。すいた同士の新世帯もあれば命掛けなる密通の冒険もある。されば路地は細く短しと★[いへど]も趣味と変化に富むこと恰も長編の小説の如しと云はれるであらう。
今日東京の表通は銀座より日本橋通は勿論上野の広小路浅草の駒形通を始めとして到[いたる]処[ところ]西洋まがひの建築物とペンキ塗の看板痩せ衰へた並樹さては処嫌[ところきら]はず無遠慮に突立つてゐる電信柱と又目まぐるしい電線の網目の為めに、云ふまでもなく静寂の美を保つてゐた江戸市街の整頓を失ひ、しかも尚未[なおいま]だ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加はる事も出来ない。さればこの中途半端の市街に対しては、風雨雪月夕陽[せきよう]等の助けを借るにあらずんば到底芸術的感興を催す事ができない。表通を歩いて絶えず感ずるこの不快と嫌悪の情とは一層[ひとしほ]私をして其の陰にかくれた路地の光景に興味を持たせる最大の理由になるのである。

路地はどうすると横町同様人力車[くるま]の通れるほど広いものもあれば、土蔵または人家の狭間[ひあはひ]になつて人一人[ひとひとり]やつと通れるかどうかと危まれるものもある。勿論其の住民の階級職業によつて路地は種々異つた体裁をなしてゐる。日本橋際の木原店[きはらだな]の軒並飲食店の行灯[あんどん]が出てゐる処から今だに食傷新道[しよくしやうじんみち]の名がついてゐる。吾妻橋の手前東橋亭[とうけうてい]とよぶ寄席の角から花川戸の路地に這入れば、ここは芸人や芝居者または遊芸の師匠なぞの多い処から何となく猿若町の新道の昔もかくやと推量せられる。いつも夜店の賑ふ八丁堀北島町の路地には片側に講釈の定席、片側には娘義太夫の定席が向合[むかひあ]つてゐるので、堂摺連[どうするれん]の手拍子は毎夜張扇[はりおおぎ]の響に打交る。両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋袋物屋煎餅屋など種々なる小売店の賑ふ有様、正しく屋根のない勧工場の廊下と見られる。横山町辺のとある路地の中には矢張立派に石を敷詰めた両側ともに長門筒袋物または筆なぞ製してゐる問屋ばかりが続いてゐるので、路地一帯が倉庫のやうに思はれる処があつた。芸者家の許可された町の路地は云ふまでもなく艶しい限りであるが、私はこの種類の中[うち]では新橋柳橋の路地よりも新富座裏の一角をば其のあたりの堀割の夜景とまた芝居小屋の背面を見る様子とから最も趣のあるやうに思つてゐる。路地の最も長くまた最も錯雑して、恰も迷宮の観あるは葭町の芸者家町であらう。路地の内に蔵造の質屋もあれば有徳[うとく]な人の隠宅らしい板塀も見える。わが拙作小説すみだ川の篇中にはかかる路地の或場所をば其の頃見たままに写生して置いた。
路地は光景が常に私をして斯くの如く興味を催さしむるは西洋銅版画に見るが如き或はわが浮世絵な味ふが如き平民的画趣とも云ふべき一種の芸術的感興に基くものである。路地を通り抜ける時試[こころみ]に立止つて向うを見れば、此方[こなた]は差迫る両側の建物に日を遮られて湿つぽく薄暗くなつてゐる間から、彼方遥に表通の一部分だけが路地の幅だけにくつきり限られて、いかにも明るさうに賑やかさうに見えるであらう。殊に表通りの向側に日の光が照渡つてゐる時などは風になびく柳や広告の旗の間に、往来[ゆきき]の人の形が影の如く現れては消えて行く有様、丁度灯火に照された演劇の舞台を見るやうな思ひがする。夜になつて此方は真暗な路地裏から表通の灯火を見るが如きは云はずとも又別様の興趣がある。川添ひの町の路地は折々忍返しをつけた其の出口から遥に河岸通のみならず、併せて橋の欄干や過行く荷船の帆の一部分を望み得させる事がある。此[かく]の如き光景は蓋[けだ]し逸品中の逸品である。

路地はいかに精密なる東京市の地図にも決して明[あきらか]には描き出されてゐない。どこから這入つて何処へ抜けられるか、或は何処へも抜けられず行止[ゆきどま]りになつてゐるものか否か、それは蓋し其の路地に住んで始めて判然するので、一度や二度通り抜けた位では容易に判明すべきものではない。路地には往々[わうわう]江戸時代から伝承し来つた古い名称がある。即ち中橋[なかばし]の狩野新道[かのうじんみち]と云ふが如き歴史的由緒あるものも★[すくな]くない。然しそれとても其の土地に住古[すみふる]したものの間にのみ通用されべき名前であつて、東京市の市政が認めて以て公の町名となしたものは恐らくは一つもあるまい。路地は即ち飽くまで平民の間にのみ存在し了解されてゐるのである。犬や猫が垣の破れや塀の隙間を見出して自然と其の種属ばかりに限られた通路を作るのと同じやうに、表通りに門戸を張ることの出来ぬ平民は大道と大道との間に自[おのづか]ら彼等の棲息に適当した路地を作つたのだ。路地は公然市政によつて経営されたものではない。都市の面目体裁品格とは全然関係なき別天地である。されば貴人の馬車富豪の自動車の地響に午睡の夢を驚かさるる恐れなく、夏の夕[ゆうべ]は格子戸の外に裸体で涼む自由あり、冬の夜は置炬燵に隣家の三味線を聞く面白さがある。新聞買はずとも世間の噂は金棒引の女房によつて仔細に伝へられ、喘息持の隠居の★[せき]は頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。かくの如く路地は一種云ひがたき生活の悲哀の中[うち]に自[おのづ]から又深刻なる滑稽の情趣を伴はせた小説的世界である。而[しか]して凡て此の世界の飽くまで下世話なる感情と生活とは又この世界を構成する格子戸、溝板[どぶいた]、物干台、木戸口、忍返など云ふ道具立と一致してゐる。この点よりして路地は又渾然たる芸術的調和の世界と云はねばならぬ。