(巻三十一)旅にして戎祭と知る人出(高柳和弘)

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(巻三十一)旅にして戎祭と知る人出(高柳和弘)

12月21日火曜日

午前中は細君が裾直しを頼んだスラックスを受け取りに外出したので静寂のなかで過ごせた。帰ってくればうるさくなる。スラックスに合わせてセーターを買ったとかで試着して見せにきた。「何を着ても君は綺麗だねえ~。」とコメントしておいた。本心、貴人、麗人、別嬪、美人、並みの上、中、下、ブス、チンケ、コマギレの10段階評価なら、並みの上くらいだとは思っています。

午後は散歩に出かけた。昨日、有楽町駅の大黒さまに貯まった小銭を奉納いたそうとしたが、賽銭箱が撤去されて叶わずであった。生協などには募金箱があるが、やはり御利益とか御加護を賜りたい。大手系列の寺社も気が進まない。お稲荷さんが好きなので、ネットで稲荷神社を探したら西亀有3丁目に砂原稲荷と云う祠があると分かった。伏見本社の系列と云えばそうなのだろうが、「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」と云うくらいのものだから敷居は高くあるまい。農産高校の脇を通り、西亀有3丁目バス停の先にある稲荷に向かった。江戸市中にある稲荷の祠を幾つか知っている。どれも小じんまりとしていてよろしいものだが、砂原稲荷は石の鳥居ぬ社を構え、狛犬ほどのお狐さまが両脇を固める立派な神社であった。さて拝殿まで進んだが、ここにも賽銭箱がない。仕方がないので日向ぼこをしていた猫に常備のスナックなどあげて少し遊んで稲荷を後にした。

下町はどこにも稲荷いてふ散る(上井正司)

稲荷から江北橋通りに出て、亀有銀座に至り、串焼き本舗でいつも通りの一息を入れた。

体が寒さに慣れてきたのか朝晩の血圧がやっと落ち着いてきた。今夜は110-75あたりだ。

願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。

斎藤茂吉(にじみ出てくる可笑しみ) - 高島俊男」文春新書座右の名文から

執拗なる手帳魔-「手帳の記」

を読んでいたら、

〈昔は手紙を書くのにきまった型があり、それにしたがえばちゃんと書けた。これもその型どおりの手紙なのだが、それにしても、益田というごくちいさな町の旅館の番頭のこのように必要なことをしっかり書く能力には端倪[たんげい]すべからざるものがある。この手紙全文が「手帳の記」のなかで、大きな効果をあげている。〉

という文章に至り、

端倪[たんげい]すべからざるものがある。

という表現に行き当たった。

ネットで調べたら、「端倪」は一般に「端倪すべからざる」の型で使われ、その意味は「推し量れないほどのしたたか者」とのこと。自分で使うことはなかろうが、知っていて悪い言葉ではない。