「「水曜日は狐の書評」の解説 - 植田康夫」水曜日は狐の書評ちくま文庫から

 

「「水曜日は狐の書評」の解説 - 植田康夫」水曜日は狐の書評ちくま文庫から

タブロイド判の夕刊紙である『日刊ゲンダイ』に「新刊読みどころ」と題する書評コラムが、週に一回ないし二回掲載されるようになったのは、一九八四年七月のことである。五木寛之氏が月曜日かは金曜日まで毎日執筆している「流されゆく日々」というエッセイや新刊書の紹介記事などと一緒に掲載されたこのコラムの筆者名は、〈狐〉と記されていた。(ちなみに〈狐〉という表記が初めて紙面に現われるのは、「新刊ダイジェスト」という連載コラムの途中からで、八二年三月にさかのぼり、実際に同紙で書評の執筆を始めたのはさらに、その前の八一年二月からだそうだ。)コラムの題名は、いかにもハウツー的な感じを与えたが、八百字位の長さのこのコラムは、個性的な選書と、奥行きのある批評眼が本好きの人たちに注目されて、〈狐〉という匿名の筆者が誰であるかということが、話題にのぼったものである。
そのため、これらのコラムは、連載十二年目の一九九二年に『狐の書評』と題して、本の雑誌社から単行本として刊行され、以後も洋泉社から一九九六年に『野蛮な図書目録 匿名書評の秘かな愉しみ』、一九九九年に『狐の読書快然』という書名で単行本が刊行された。そして、このたびは、一九九九年五月十九日発売(紙面上の日付は翌二〇日)から二〇〇三年七月三十日発売(紙面上の日付は翌三一日)までの掲載分を時系列で収め、『水曜日は狐の書評』という書名で、ちくま文庫の一冊となった。ちなみに、「水曜日」とは、〈狐〉の書評コラムが掲載される曜日であるが、八月以降は、筆者の健康上の理由でコラムは休載となっている。
しかし、新聞連載の書評コラムが、一定の期間を置いて、四冊も本になるというのは、珍しいことである。これは、このコラムが書評集として刊行されるに価する内容と質的水準を保ち続けているからだが、その質は、何によってもたらされたのであろうか。そのことを確認するため、新聞掲載時のように断片的ではなく、文庫として刊行される書評集の最初の頁から最後の頁までを通して読んでみた。
その結果、わかってきたのは、〈狐〉の書評は、批評でありながら、論理性の持つ冷たさがなく、物語性の持つぬくもりが全編に感じられることである。それでいて、ぬくもりが時に批評意識をゆるくしてしまうということもなく、快い緊張感を読む者に与える。これは〈狐〉の書評が、とりあげる書物の内奥に自在に分け入り、その書物がもっている魅力や問題性を豊★な言葉で語り、批評の対象とした書物の存在感をくっきりと際立たせることがたくみであるからだ。その手つきは、芸と呼べるものだが、そのために、コラムの一編が八百字の短さであることを感じさせない。

そして、〈狐〉の書評は、書評者の独りよがりの悪しき主観の披瀝を排して、批評と、とりあげた書物の特質の描写がうまく一体化され、読む者は、書評者の批評だけでなく、批評の対象となった書物のがどういう内容のものであるかということも、認識することが出来る。たとえば、織田作之助の小説『夫婦善哉』などが講談社文芸文庫に収録されたのを機に、織田の小説をとりあげ、〈狐〉は織田の諸作は「話芸の達成を示す力作」であると指摘し、なかでも『夫婦善哉』を高く評価しながら、こう批評している。

大阪の町を舞台に、何が起こっても負けない強靭な生命力で活躍する芸者と、何をやらせてもダメな徹底した甲斐性なしの亭主との暮らしを、厚みがあってたくましい、粘りがあって野太いリズムの話術で語る。ともかく早熟な作家だ。色恋だけでなく、裏町の隠れた生活の細部(ことに日常の食べ物)の彩り豊かな描きようなどに、おどろくほどの才幹を感じさせる。

織田の「話芸」を「厚みがあってたくましい、粘りがあって野太いリズムの話術」という具合に、抽象的な批評語でなく、具体的で生活感のある言葉で的確に評しているのは見事だが、〈狐〉の書評は、新刊書だけでなく、全集や文庫の刊行を機会に、古典と目される作品もとりあげ、このような卓抜した批評によって古典を現代に甦らせるという試みも行っている。そして、とりあげる書物は、小説、評論、エッセイから、写真集、画集、漫画まで多様だが、翻訳書について、池内紀氏によるカフカの新訳が従来の陰うつなイメージのカフカ像を転倒させ、「変身」がたまらなくおかしい小説であることを指摘するなど、翻訳についての批評も行い、書評の幅を拡大している。こうした書評が可能なのは、『野蛮な図書目録』の序文で「本は立って読む」と書いているように、〈狐〉が読書を身体感覚を伴いながら行っていることに起因しているのかもしれない。