「小泉今日子書評集・“はじめに”―小泉今日子」小泉今日子書評集から

 

小泉今日子書評集・“はじめに”―小泉今日子小泉今日子書評集から

“はじめに”

本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった十代の頃、人と話をするのも億劫だった。だからと言って不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないでください。そんな貼り紙代わりの本だった。それでも本を一冊読み終えると心の森がむくむくと豊かになるような感覚があつた。その森をもっと豊かにしたくなって、知らない言葉や漢字を辞書で調べてノートに書き写すようにした。学校に通っている頃は勉強が大嫌いだったのに退屈な時間はそんなことをして楽しむようになった。
本を読むのは好きになったけれど、読書家と言えるほどたくさんの本を読んでいるわけでもないし、私が選ぶ本には節操がなく雑食的で漫画なんかも多く含まれているので『読売新聞』日曜日に掲載される書評欄の読書委員の話が来た時には正直なところ驚きと戸惑いしかなかった。
ある日、読売新聞の鵜飼という男がお前に会いたいと言っていると久世光彦[くぜてるひこ]さんから連絡があった。久世さんはテレビドラマの演出家として数々のヒット作を作り出し、作家としてもたくさんの小説を残した私の恩師。演技もお行儀も文章を書くことも全部私に教えてくれた人だった。和食屋さんのお座敷に私とマネージャー、向かいに久世さんと鵜飼さん。引き受ける自信のない私は簡単には首を縦には振れないまま目の前の日本酒をクイクイ飲んだ。お酒を飲めない久世さんとマネージャーを置き去りに私と鵜飼さんはどんどん酔っ払っていった。そのうちなんだかすっかり打ち解けて、いつの間にか引き受けることになっていたという酔っ払いにありがちなパターンで私は読書委員になったのだった。久世さんはそんな私たちを呆れたように、でも笑顔で見守ってくれていた。
最初の書評が載った日に、久世さんからファックスが届いた。

書評読みました。うまくて、いい。感心しました。Kyonがだんだん遠くなるようで、嬉しいけど寂しい。あなたの書評を読むと、その本が読みたくなるというところが、何よりすばらしい。それが書評ということなのです。

ロマンチスト久世さんらしいとてもキレイな直筆の文字を噛み締めるように読みながら私は泣いた。それから数年後、先に遠くへ行ってしまったのは久世さんの方だった。ある朝、突然逝ってしまった。久世さんからのファックスはもう届くはずないのに日曜日に書評が載ると電話機をつい確かめてみたくなる。天国にもファックスがあればいいのに。
その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。