(巻三十三)東京のホームは長し新社員(田中とし江)

(巻三十三)東京のホームは長し新社員(田中とし江)

 

6月8日水曜日

朝お越しにきて台所の蛍光灯の調子が悪いと云う。今日も作務だ修行だ。横3連の蛍光管のうちのまん中の1本が息絶え絶えである。昨年の秋に3本一緒に取り換えて、ついでに点灯管も3個換えておいたのだが、その愚痴は末尾。今回も3本と3個を一括交換することにしたが、点灯管が1個足りないし、蛍光管の備蓄分も必要なので急ぎ駅前のノジマまで往復した。購入品は蛍光管3本と点灯管3個で4460円。これに往きのバス代220円と復りのタクシー代が580円かかった。タクシーは贅沢だが、とにかく早く戻って来いと下知で家計費から出すと云うのだ。「“車を持ってないんだから、駐車場代分くらいはタクシー乗んなよ”って言ってたじゃないよ」と仰る。この辺りだと月二万か?確かにそう申したがその頃はまだフルで働いていて、柏の外れに居て相場は五千円だった。

階段したの駐車場に玩具猫の成れの果てのトイちゃんがいた。はっきりと覚えているようで鳴きながら駆け寄ってきた。まだ若いようで動きが敏捷で転がるスナック粒を手でピタッたと止めてサッと食べてしまう。サンちゃんの不器用さとは大違いだ。復りにもいたのでもう一袋あげた。

電器量販店の先行きはどうなのだろう。売場のレイアウトが変わっていわゆる白物家電品の売場が縮んでいくように思える。ところがいまだに大画面テレビの売場はエスカレーター降り口の正面に比較的広く取ってある。インターネット、スマホ、3Dゴーグルやほかの媒体・機材が提供するコンテンツと地上波や衛星放送のコンテンツを比べると大画面テレビジョンセットがなぜ売れているのだろうと思う。大画面の前に一人ぽつんと座る人が老若男女の何れであれ、絵は寂しい。買い物先の照明器具の売場も縮小されたようだ。携帯やITCの売場も若干の付属品を除けば物を売る売場ではなく、見本陳列と注文受付と契約の場になっている。客のいない平日の午前は会議のない会議室ようにさえ思えた。対面式の受注、契約、決済などはなくなるだろうからよその会議室同様量販店の会議室も使用頻度は低くなるだろう。街の個人経営の本屋さんが無くなり、チェーン店本屋さんでさえもモールから撤退していった。家電品量販店も、街の電気屋が無くなったし、いずれは本屋さんと同じ運命を辿るのだろう。

午後は歯医者さんの定期検診で再び駅前に出た。少し早めに駅前についてこの春に開店したドトール珈琲に入ってみた。別に珈琲が飲みたいわけではなく、リリオ1号館の2階の角に店開きしたので駅前広場を見下ろすのによいバンテージ・ポイントだと思えたからだ。店内は小洒落ていてそこそこの客の入りである。その空間は大きく分けてお仕事をされるお客様用のやや照明を落とした横一列のカウンター席と白を基調とした明るい見晴らしのよい区画のテーブル席に二分されている。お仕事席にはlap・topを睨むおじさん、お姉さんが居て、テーブル席ではおばさんたちが舌の乾くまで喋っている。

駅前広場が見下せる窓際の二人用テーブル席に着いて500円もする珈琲を啜りながら眼下の巷を一撮二撮いたした。一度見れば二度とここへ上がってくることもあるまい。階段が急で特に下りは年寄り向きではない。

ここからリリオ2号館にある歯科に移動した。予定時刻の10分ほど前に入ったが、すぐにいつもの衛生士さんが来てご案内となった。仮に衛生士さんをマリちゃんと呼ぼう。“マリちゃん”は私が魅力的に感じた女性への尊称である。猫には絶対にマリちゃんとは名付けない。そのマリちゃんから、前回ご指摘いただいた右上の残存する最奥歯の側面はよく磨いてあるとお褒めをいただいたが、一方で左上最奥歯とその横の歯の間の歯間ブラシッシングが不行き届きとのご指摘もいただく。本日も諸点ご教示いただいたが、歯ブラシの前に歯間をブラシッシングするのが正しい手順だと教えられた。今晩からそうしょう。ミントの効いた歯磨き液を塗った歯間ブラシでお掃除していただいた。マリちゃんはゴージャス・バディではなさそうだが睫毛の長い蠱惑的な容貌が窺える。面高、小顔と察せられるが、肝腎の鼻の下の長さがマスクで判然としない。保険の効かないインプラントの掃除、1本あたり200円、を含めて3220円をお支払いして退出。次回は旧盆過ぎだ。

さて、歯医者さんを終わり、鰹を喰わんと北口の磯丸水産に回ってみた。月に一度か二度の外呑みだ。4時半前に入店した。客は少ない。品書きに鰹の刺身はない。鰹はどこにも書いてないのである。注文を取りに来た兄ちゃんに訊いたら“ございません。”とのこと。仕入れても値が張ってこの場末では捌けないのだろうか。次善の策として鯵を考えていたが、鯖の炙りがあったのでそれにしてみて正解であった。酒は安めの酔鯨のコップ酒。鯖で二杯呑めた。ワカメの茎のお通しが出たので盛られるなと思ったが締めて2400円で済んだ。正味で計算すれば500円×2杯と800円の鯖だ。

店主らしきに見送られて5時に心地よく退出。磯丸水産の向かいの人だかりするモツ焼き屋を眺めつつバス停に向かう。梅雨の合間の良い天気だ。

最寄りの一つ先のバス停で降りて都住2の花太郎を訪ねた。飼い主の婆さんと花太郎が階段下にいて婆さんと言葉を交わした。花太郎は食後でがっついてはおらず、ちょこんと座っている。婆さんからはいつも可愛がって頂いてと礼を云われ、どういたしましてこちらこそ癒されてますよ、と返した。婆さんも太郎の賢さは認めていて、「この子は本当に頭がいいの!」とおっしゃる。満腹でスナックを欲しがらないが、太郎を呼べば近づいて来て体を擦り寄せてくれる。花子は来ない。

5時半ころ、なに食わぬ顔をして帰宅し、すぐに歯を磨き鯖の臭いを消す。

細君がすぐ来いと云うのでテレビの前に行くと、あの阿部サダヲさんがインタビューを受けている。松尾スズキ氏の随筆の事や、宮藤官九郎さん、阿部サダヲさんのことを話していたので呼んでくれたのだ。うちの細君はうるさいが、“花子”タイプでなくてよかった。

願い事-生死直結で細君より先に知らないうちに叶えてください。蛍光灯ではなく電球のようにプツンと消えてしまえたらどんなにすばらしいだろう。

蛍光管の包装には「長寿命10000時間」と書いてある。切れた蛍光管は使って半年だ。24×365としても8760時間である。寿命とか余命とか云うものは目安ではあるが、明日のことは分からないよということを教えてくれたのだろう。八十歳当たりが一般的なくたばりどころだが五十代、六十代で逝った同年代は十指余る。

私も四十代五十代で死んでいれば、生まれてきてしまって、いろいろな行き掛かりできてしまっていたから、心残りがあって逝ったことだろう。

今は何も思い残すことは無い。これから先に期待することも無い。どちらかと云えばこの先を生きていくのが厭になってきた。今が辞めどき、今が逝きどきだ。一つよろしく。