(巻三十三)淡雪や休めば死んだかと言われ(後藤渓石)

(巻三十三)淡雪や休めば死んだかと言われ(後藤渓石)

6月15日水曜日

10年使った洗濯機を買い換えることにしたそうで、洗濯機置場の寸法を測った。眼鏡屋の帰りに電気屋に寄り、エアコン同様、洗濯機も型によっては品不足だと云われてその気になってしまったようだ。不安させて上手く落とすのが販売員の腕か。ではあるが、細君は別の量販店に行くつもりらしい。

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3csz1vj

10年使ったと云えばURが設置してくれているエアコンも10年経っているようでメーカーに操作方法を問い合わせたときに“そろそろ故障するかも”と云われたらしい。こちらは私物ではないから、壊れてからの対処しかないかな。

雨模様につき散歩せず。トレーナーも着て座椅子で昼寝。

願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。昼寝しながらボンヤリと“このまま逝けたら、それはそれでいいな~”と思った。

座る余地まだ涅槃図の中にあり(平畑静塔)

今日は、

『「「四法印」の教え - みうらじゅん」マイ仏教 から』

を読んで、「諸法無我」という教えを知った。

みうらじゅん氏の以下の解説とコメントにふむふむと頷く。

諸法無我=自分なくし

四法印のうち、諸行無常に続いて、次は諸法無我です。

諸法無我というのは、いかなるものにも実体はない、というお釈迦さんの尊い教えのひとつです。あらゆるものは一時的な状態に過ぎず、永久不変のものはこの世に存在しない。

それは「無我」とあるように、当然「そう考える自分自身にも実体はない」ということです。ヨーロッパでは「我思う。故に我あり」という有名なフレーズがありますが、仏教では「そう思う我も無い」と考えるのです。

数年前に、サッカーの中田秀寿が引退して、「自分探しの旅に出ます」と宣言したことがありました。その旅の途中、リハビリ中のお相撲さんとサッカーをして、話題になったことがあります。先ほど、元祖・自分探しは、ビートルズジョージ・ハリスンではないかという話もしました。

それ以前からも、「自分探し」という言葉は世の中に流布し、学生やOLから、主婦やサラリーマンまで、日本中が「自分探し」に夢中になり、「本当の自分」というものを必死になって探していました。中には、坐禅や写経をするなど、仏教に触れることで「自分探し」をしようなんていう人も少なからずいたように見受けられました。

しかしこれまで自分探しを始めた人で、見事本当の自分を見つけたという人がいるのでしょうか?

仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、ということを二千五百年前から説かれているのです。

私は、「自分探し」よりもむしろ、「自分なくし」の方が大事なのではないかと思っています。お釈迦さんの教えにならい、「自分探しの旅」ではなくて、「自分なくしの旅」を目指すべきなのです。》

https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2021/11/12/102238