「『だめだこりゃ - いかりや長介』(新潮文庫)の書評 ー 水道橋博士」

 

「『だめだこりゃ - いかりや長介』(新潮文庫)の書評 ー 水道橋博士

「芸は一流、ギャラは二流」と自分を称したのは上岡龍太郎師匠である。
もちろん、この言葉は世間の評価に対して、「俺の価値がわからんか!」という芸人の矜持の台詞に他ならない。
芸人とは本来、自己顕示欲と独りよがりの自信を持つのが自然だ。
が、このところ、タレント本の世界では、自称二流、三流を自らバカ正直に名乗り出るのが一つの流れになっているのである。
今回紹介する『だめだこりゃ』は、今やその渋い演技から、「日本のモーガン・フリーマン」と呼ばれるドリフターズのリーダー、いかりや長介さんの自伝であり黄金のドリフ回顧録である。
しかし、この本、タレント本にありがちな豪快なる半生、大いなるじまんばなしなど一切無い。
なにしろ「誰一人、ずば抜けた才能を持つメンバーはいなかった」と最後まで語り「音楽に関しては二流から四流の集まりで、笑いに関しては素人の集まり」と自分を含めてドリフのメンバーの「だめだこりゃ」ぶりを連綿と書き連ね、コメディアンにはあるまじき、芸無し、不器用ぶりを延々と申告しているのである。
しかしながら、その淡々と悟りきった筆致が、文章家として一流だったりするのである。
その「全ては成り行きだった。偶然だった」と語る、名前通りの漂流(ドリフ)ぶりを本に沿って振り返れば-。
中学卒業後、静岡の製糸工場の工員から、「女にもてたい一心」で当時ブームであったハワイアンのバンドマンをこころざす。
最初はスチールギターを担当したが、「メロディ-を演奏すると仲間に迷惑をかける」という実に後ろ向きな理由からウッドベースに転向(とはいえ、その後、「日本で最初にチョッパーを始めた」とか「モノホンのフェンダーエレキベースを手にした最初の日本人」など、日本の音楽史に伝説を残すプレイヤーになってしまうのだ)。
その後、ハワイアンからロカビリーへ、ロカビリーからカントリーへと短期間にジャンルも変えるが、しょせんは米軍キャンプが主な仕事場の平凡なバンドマンであった。
そんな、ある日、演奏先で進駐軍の将校から、その仏頂面を「見ているとこっちまで憂鬱になってくる」と言われショックを受け、その後、バンドのショーアップを心掛け、ギャグを工夫し始める。
そして、ジャズ喫茶の常連となり、ひょんなことから音楽ギャグを中心とした『ドリフターズ』に「ごく軽い気持ちで」移籍することになる。
ドリフターズの不動のリーダーという今のイメージからすると意外なことだが、「私は読書委員の結成メンバーではない」にもかかわらず、当時のボーカルの小野ヤスシに、まるで“どっきり”の如くバンドの解体を仕掛けられ、なんと4人のメンバーがクーデター的に脱退。
そのなりゆきから、必然、自分がバンド・リーダーに就任してしまうが、メンバーはドラムの加藤茶と、わずか2人きりに。
この時、いかりや三蔵法師が「わずか15日間で寄せ集めた」、ロクに楽器も出来ない、猿、豚、河童の類いのポンコツが、あの黄金のドリフターズであり、しかも、結果的に、このメンバーが芸能界ね理想郷、天竺を目指すこととなるのだ。
その後、「クレージーさんが忙しくなったので渡辺プロが穴埋めのためにドリフを拾ってくれた」おかげで「もう一人のドリフ」である敏腕・井澤健マネージャーに出会い、「ポスト・クレージーキャッツ」としてテレビに抜擢されコメディアンへと転進する。
ここで初めて、碇矢長一、加藤英文、荒井安雄……といった固苦しい名前が、事務所の先輩・ハナ肇によって、長介、茶、ブー、工事と、後に日本中が愛する芸名へと変えられるのだが、しかしその命名法たるや、単に酒席の思いつきでつけたものであり、名だたる悪名揃いの我々「たけし軍団」となんら変わらないのである。

その後、『全員集合』がテレビ史に残る一大ブームを迎え、さらにドリフの全盛期が過ぎると、コメディアンから役者へと転進し、すぐさま『踊る大捜査線』の老刑事の演技で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞する。
こうして列挙しても分かるように、図らずも全ての流れが己の欲以上に好転していく人生なのである。
タレント本の書き手として、この本の「成功」も不本意にも、流されてた先に必ず黄金を見出す、これまたドリフ(=漂流)伝説の一つであろう。
つまり、ドリフのイカリヤとは、必ず漂流先にそのイカリを下ろす存在なのである。
有名な1966年のビートルズ来日、武道館公演の前座をつとめた実績すらも、出演依頼を当初は断り、「私はビートルズに格別興味もなく、まして共演するのを光栄とも思わなかった」と言い切るほど、本人は無関心、むしろ大迷惑だったのである。
しかし、これまた結果的には、日本で最初に、かの武道館で演奏したバンドとして記録されるのだから、全てが好転に向かう運命なのである。
そして、日本のテレビ史上にとってもエポックとなった『8時だヨ!全員集合』-。
渋谷公会堂での子供たちの熱狂は、日本武道館での婦女子のビートルズへの絶叫を遥かに上回り、お茶の間では、テレビの前に日本人を“全員集合”させることとなる。
なにしろ、この番組、最高50%を超える記録的視聴率を叩きだす怪物番組に化けていくのだ。
しかし、その一方ではPTAが選出する俗悪番組の常連でもあった。
されども本書を読めば、土曜日の夜、一時間の公開生放送というスタイルを16年間も貫くため、自称「才能の無い凡人たち」が「全員集合」して、たゆまぬ会議、準備、練習と努力を続けることによって生まれた、健全極まりない勤勉の賜物であったことにあらためて驚かされる。
これは、俗悪どころか、むしろPTA、日教組推奨番組であり、NHKの『プロジェクトX』的題材であり、♪ホントに、ホントに、ホントに、ご苦労さん!の掛声と共に、中島みゆきの唄声さえも聞こえてきそうなほどの偉大な足跡と呼ぶべきだろう。
また、この本の記述のなかでも個人的に興味深いのは、リーダーの「趣味・アフリカ」である。
これは、「出身地・アフリカ」の誤植ではない。
もちろん、週間単位で生放送に追われる激務の中で、はるばるアフリカまで出かけるのはプレッシャーからの逃避行でもあっただろう。それにしても「27年間で26回!」、その回数は尋常ではない。
アフリカに現地妻がいるのでは?との噂も頷けるほどである。
若かりし頃のあだ名は「ゴリラ」で、誰もがその風貌を、ネイティブなアフリカンに重ねて見ていた、長介さん-。
もともと芸など何も出来ないにもかかわらず流され続け、それが次々と思いの外に「笑い」を生み、本人の知らぬ間に思わぬブームを迎え、果てには映画俳優へと辿り着く。
この経歴から一人の世界的ムービースターを思い起こすのは、俺ばかりではないだろう。
結論!いかりや長介とは「日本のモーガン・フリーマン」 と言うよりも「日本のブッシュマン」なのである。