「あと千回の晩飯(から抜書) - 山田風太郎」あと千回の晩飯 から

 

「あと千回の晩飯(から抜書) - 山田風太郎」あと千回の晩飯 から

死に神を迎える作法
あと晩飯が千回とするなら、もう一食たりとも意に染まぬ晩飯は食わないと志を立てたが、その企て自体が意に染まないことに気がついて、そんなばかげた企てを放擲[ほうてき]した。
するとこんどは、いままで別に大事業や大研究をやってきたわけじゃないから、ほかにやることがない。
そうこうしているうちに、あと千回は次第に減ってあと七百回くらいになってしまった按配である。
しかもそのうち少なくとも百回は病院で低カロリーの糖尿病食を与えられ、あとは自宅での普通食にしたとはいえ、やはりどこか糖尿病食に気を使わざるを得なかったのだから悲喜劇的である。
それにしても、ほかの病気ならできるだけ栄養価の高い食事をとれ、美食せよと医者がいうのに、糖尿病はその反対をすすめるのだからけったいな病気もあるものだ。しかも進行した場合に、惨害は心臓に飛び腎臓に飛び、時には失明、足部切断の悲劇をもたらす。
その糖尿病が私の場合、全快したわけではなく、別にまたパーキンソンを発症し、歩行難、バランス失調の病状は消えていない。
そのくせいま日常アッケラカンと暮らしているが、これはひとえに疼痛[とうつう]や苦痛がないからというだけのことで、七百回の晩飯もあやしいという事態に刻々と迫りつつあるのは確かだ。
それからもう一つ、私には特に強い感想かも知れないが、いままで述べてきた病気はどれも、いわゆる老人病。七十四歳にもなればこういう病気が現れてくるのは当たり前で、いままで無事にすごしてきたのが僥倖[ぎようこう]だったのだ、という諦念があることで、病気と闘う元気が薄い。こういう患者は医者や介護者にとって助かるのか、それとも世話のしがいがないのか。おそらく後者だろう。
そうはいうものの、死に神の姿をおぼろな影のように何百日かの向こうに眺めながら、ただ無為に待っているのは何としてももったいない。
献立表作りのような次元のひくい行為でなく、もっと高い対処法がありそうなものだ。

 

人生の後始末

人間の死に方は、分類法によってどんなにも分類できるだろうが、私は「人生と密着した死に方」と「人生と分離した死に方」と二大別するのも面白いと思う。
本人の意志とは無関係な事故死は除く。
「人生と密着した死に方」とは、死の瞬間までいままでの全人生を背負いこんでいる死に方という意味だ。自分の手がけた仕事のなりゆきから心離れず、自分とかかわり合った人々への思い去らず、自分の全生涯を圧縮したような死だ。葬式には何千人という人を集めるが、相続がらみで遺体の押しつけ合いや奪い合いを始める例も少なくない。そのことを予想するなら、死ぬにもおちついて死ねない心境なのではないか。壮絶といえばいえるが、騒々しい死に方だ。
近い例といえば、一代にして名声と富を築いて急死した某ファッションデザイナーを見よ。
「人生と分離した死に方」とは、死期の近いことを予感したとき、もしやり残しの仕事があれば余人にゆだね、あとに残りそうなトラブルはすべて清算し、身辺すべて空無の状態にして死のみを凝視してその日を待つ死に方だ。
近い例をいえば、死病の公表も禁じ、葬儀や告別式も辞退した某コメディアンを見よ。
むろん右の表現は、それぞれのタイプの極端なもので、人によって決心の濃淡、あるいは心情の転変があるだろう。
夏目漱石だって、生前しばしば弟子たちに「僕が死んだら万歳をとなえてくれ」といっていたが、いよいよ命旦夕[たんせき]に迫るや胸をかきひらいて「ここに水をぶっかけてくれ、死ぬと困るから」といった。漱石の頭には未完の大作『明暗』のことがひしめいていたに相違ない。
私は望むらくは後者にしたい。それもきのうきょうの発心ではなく、二十歳すぎに書いた日記を見ると、葬式ハ好マズとはっきり書いている。日夜空爆のひびきに満ちた東京の空の下であった。
身辺すべて空無の状態にして、などと禅坊主みたいなことができるか、という人があるかも知れないが、戦前は田舎の婆さんでも、無用な妄執[もうしゆう]は後生のさまたげになると、ちゃんと承知していたのである。

 

葬式は寂しかるべし
後始末の悪い死に方と、後始末のいい死に方と。
世の大半の人は、「それは後始末のいい死に方をしたい」と一応は答えるだろう。
しかし第三者から見ると、後始末の悪い死に方のほうが面白い。死後にまで問題を残すくらいだから、仕事も未完成で、愛した女も二人三人にとどまるまい。往生際もさぞ悪いだろう。週刊誌に出るほどの人物なら必ずその好餌[こうじ]となる。一生に恨みをいだく者千人くらいは作ったろうが、葬式には数千人の会葬者を集める。
往生際の悪いところも、見ようによっては悲壮味をおびて感じられる。私もこういう人物を主人公にして何十編か小説を書いているので、私としてはこういう苦しい状況に堕ちた人物に敬意すらおぼえているのである。
片や、一物もあとに残さず、生前の仕事や恩愛ある人はすべて捨て、ただ一人で死んでゆく。
咳をしても一人 尾崎放哉
鉄鉢の中へも霰 種田山頭火
俳句にすれば格好いいが、実態はこれまた「地獄」に相違ない。しかも常人はなかなか放哉、山頭火の境地には達せられそうにない。
しかし私の好みからいえば、やはりこの後者の死に方を選びたい。それは善悪の問題ではなく趣味の問題だ。
私などがやれば、沈香も焚かず屁もひらずを地でゆくことになるにきまっているが、私はそれが好ましいのである。
会葬者なども家族をふくめて十人内外がよろしいと思う。その人数がお葬式が野辺送りという名にふさわしく、詩情にみちているからだ。
もっとも今は、野辺送りなどという光景が消滅してしまったから詩情もへちまもないが。
野辺送りに限らず、一般に人の死に詩情というものが地を払ったようだ。無葬式論者の私がこんなことをいう。
さて読者もお気づきであろうが、平成にはいって八年、ここのところ目立って私の同業者、すなわち作家諸氏の急逝が相ついで報じられるようになった。みんな六十代後半から七十代前半で、私より若い方々である。