「噺家の出囃子と枕 - 立川談志」遺稿立川談志から

 

噺家の出囃子と枕 - 立川談志」遺稿立川談志から

噺家というものはおなじみのフレーズから始まるのは皆さん御承知で、出囃子に乗って出てくる。ま、上り囃子である。それは個人個人違う、いまでいやあテーマソングだ。
文楽は「野崎の送り」、志ん生は「一丁入り」、円歌は「踊り地」、円生は「正札付」、小さんは「序の舞」、馬生は「鞍馬」、三平は意外に「勢獅子」、今輔は「野毛山」、正蔵は「あやめ浴衣」、現代[いま]の奴等はワカラナイ。童謡からポピュラー、何でもござれだ。尤も桃太郎は童謡の「桃太郎さん」だった。ウチの志らくなんざァ何かいな、そうだ鳩ポッポだ。志の輔談春も談笑も知らない。ウチの弟子を知らないくらいだから他の奴等ぁ知る訳がない。
おっと家元は「木賊刈[とくさがり]」。八代目の桂文治のが気に入って、亡き後これを継いだ。間[ま]も文治はゆっくりゆっくりの調子を私しゃ早間にしたが、そうそう、他人の事は云えない。私も小ゑんの頃は童謡、大好きな「あの町この町」であった。雨情の詩が好きで、この詩はえらく幼な心に感じたものだ。お家がだんだん遠くなる遠くなる、今来たこの道帰りゃんせ帰りゃんせ、曲は中山晋平だ。これを下座に頼んだ時は妙な顔をされた。してみゃ童謡が流行った原因は手前ぇなのかも知れない。
それにしても噺家の上り囃子は胸を踊らせたもんだ。前の奴が終る。座布団が引っくり返される。名札が出る。上り囃子だ。キューンとなった。まして好きな噺家の上り囃子には、特に「梅は咲いたか」の柳好にゃ堪らない。“待ってました「野晒し」”と客席の声だ。それぞれの上り囃子は違っても真打ち[トリ]となるとこれは「中の舞」と決まったもんだ。これは変ってないだろう。したがって立川談志普通は「木賊刈」、トリは「中の舞」とこうなる。
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で、上る。開口一番はきまっていた。つまり余計な事はいっさい云わない。例えば文楽、“一杯のお運び様で有難く御礼を申しゃげます”と握って、それぞれの話の枕となる。このスタイルは皆それぞれ同じ。一席お笑いを申し上げます、から入る。桃太郎は笑顔一杯で、“桃太郎さんでございます”といったっけ。金馬は珍らしくジョークというか、“私が出ると場内が一時にパッと明るくなった様な気がします”と己れのハゲを笑いの種にした。
ま、ざっとこんな所か。それを破ったのはこの俺様。高座に座るといきなり客が引っくり返るのは、上る前にまわりに聞いているからだ。近頃どんな話題があるだい、なにィ角力か、サッカー、人殺しい、菅か小沢か、何でもいいのだ、その話から入る。つまり最新のニュースからだ。例えばこんな風だ。
“近ごろの若い奴は何でも一個、二個で数える。本も一個、背広も一個、一冊とも一着ともいわない。皆んた一個、二個だよ。こんな奴はきっというネ、俺さァ今日帰ったら水割二個飲んでTV三個みて一個寝っちまう”
“オイ、お前何個、女やった”
“マンコやった”っていうネ。
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昔、山本益博がいった。談志さんが寄席に出てると何か事件があるとすぐそのパロディ・ギャグ、又、どう解釈するかが楽しみで寄席に行ったんですが、今寄席に出ないからなァ‥‥‥。これとて随分昔の話だ。あの野郎、グルメの大家だそうで、そういやぁあ奴にフランスのミッテランの家の横を入った処、四、五人しか入れない店、名前は忘れたが、そこで教えられて喰ったエイの縁側は美味かった。
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昔、若い頃、後に文治になった伸治さんが喋った枕に、“えー、ずっと不味い顔ばかりみせていたんで、楽屋で「どうだい、この辺で、いい男を出そうじゃないか」てんで私が選ばれて上ってきました”。今の円歌も歌奴もやってたっけ。いまこれを米朝の倅、米團治がやってもダメだろう。何せ奴ァ二枚目すぎるしネ。当り前ながら俺はこういうギャグは使わなかった。円楽も志ん朝もやらなかった。もう誰もならないだろう。

ふっと思い出した。昔の円鏡、下手くその円鏡、現在[いま]の円蔵の前の円蔵、この人は落語音痴なんだと思ったネ。
彼の枕だ。“えー円鏡でございます。お客様の御尊顔を拝し、かつ又、こちらの御尊面をごらゎにかけます。私は横浜港に産声を上げ、蝶よ花よと育てられ、ノミに喰わせないこの身体を豊満な肉体の所有者、年増女の邪恋にもてあそばれ、むなしくも十八歳で童貞を破壊され、その年に性に目覚め、今だに目覚めっ放なしィ-。何のことだか判りませんで”と枕を握っていた。ちなみにこのフレーズ、正岡容[いるる]が考えたとか。何とこの円鏡、邪恋をジャコイといってたという。さすがに私が聞いた時は邪恋になってはいたが。
よく三平さんはこんな下手な噺家の弟子になったもんだ。あんな売れていたのに、別に系統的にも関係がなかったのに。
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立川談志の枕は凄い。例えば地方都市に行く。近頃は地方都市の方がホールなど立派である。出てくる、拍手、場内を見渡す。“立派なホールだネェ。近頃の地方のホールは東京なんぞより、よほど立派だ。文化程度の低い町ほど立派なホールを建ててやがる”。
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“よく芸人、舞台で死ねりゃ本望だなんていうが、冗談いうない。こんな汚ぇ所で死にたくねえ、俺は家で死ぬんだ。具合がワルけりゃ、すぐ帰っちゃう。内儀さんが風邪引いたってこのまま帰っちまう‥‥‥”
本当にやりかねないからネ、という思い入れが客にあるのだろう。で受ける。
思い出したが、志ん朝と円歌が池袋のホールで二人会をやることになっていた。当日我が家にTELが入って、志ん朝が具合がワルくなったので済みませんが代演に行ってくれませんか、に、いいよ、志ん朝ならいいよ、と請け合って池袋のホールに行ったネ。で開口一番、“これ志ん朝の代りでなく、円歌の代りに来たンならお客は大嬉びだろうなァ”。いやハヤ受けたの何の、その通りだ。何せ談志、志ん朝の二人会なんて一度もなかったし、彼が死ぬまで実現していないのだ。
円歌の奴は楽屋で聞いてて受けてやがった。その辺、あ奴は面白いのだ。落語家の了見をキチンと持っている。
出囃子、噺家の枕、お長くなりました。書きゃいくらでもあるがネ、相変らず声が出ねえや。