「英語脳によって日本語も豊かになる - 茂木健一郎」最強英語脳を作るから

 

「英語脳によって日本語も豊かになる - 茂木健一郎」最強英語脳を作るから

現在、親御さんの間で子供の英語習得に対する関心がものすごく高まっているのは、社会的なパスポートだと思っているからだと思います。英語を話せるか話せないかで、これから先の子供たちの人生の幅が違ってきてしまうと思っている。
英語脳というのはいろいろな要素がありますが、言語としての英語が話せるということでもあるし、マインド・セット、英語的な発想ができるということでもあります。それから、見落とされがちなのが、英語を話せる人はべつに英語ネイティブだけではないので、英語で話すといろいろな多様性を経験することになる。多様性というのが一つの鍵になると思います。
僕がここ1か月で英語を話した相手も、イタリアでイタリア人と、フランスでフランス人と、アメリカのタクシー運転手がケニア出身の人であったり、あと、韓国の人や中国の人もいてほんとに多彩です。英語ネイティブでない人との会話のほうがむしろ多いのです。それは、多くの人がする体験です。日本にも外国人がたくさんいらしていますが、英語ネイティブはむしろ少数派ですよね。
英語脳は結局、多様性に触れる脳と言うこともできる。バイリンガルの脳は認知症になりにくいというデータがあって、日本人にとっての英語脳というのはバイリンガルで、認知症になりにくい脳ということにもなるでしょう。
それから、英語脳になるというのは、それなりにその人が過去にチャレンジを積み重ねてきて、それだけのことを達成したという証でもあるわけで、この人は自分で課題を決めて、練習したり努力をしたりして目標を達成することができる人だと、一つの証明にもなることだと思います。
特に帰国子女でもない人が英語を話せると聞くとき、我々が受け止めるメッセージはそこだと思うのです。帰国子女でもないのに英語ができるようになっているということは、それなりに努力する能力があるのだなということを示している。ということは、英語だけではなくて、他のことでも、努力して課題をクリアする力があるのかもしれないと相手に認めさせることになる。その意味でも、パスポートとしての役割があるような気がしますね。
それから、ある小説家が誰かに「どうしたら小説を書けますか」と聞かれて、何と答えたかというと、「どれか一つ、何でもいいから外国語をやりなさい」とアドバイスをしたという話があります。日本語で小説を書く場合でも、外国語を何か一つやると豊かになるということを、その小説家は実践から知っているわけですね。
そういう意味では、実は英語脳というのは、日本語自体も豊かになる脳だということだと思います。夏目漱石も英語を徹底的に、発狂するぐらいやって、日本語の表現であれだけのことを成し遂げたわけですよ。だから、英語脳というのは日本語の充実にもつながるということではないでしょうか。
内田樹[たつる]さんが面白いことを言っていて、僕もそういうところがありますけど、科学者ということもあるから英語の文献が基本なので、僕はある時期から、日本語で何か書くときは、英語で表現できないことは基本的に書かないようにしました。
例えば、「人生は揺らぎゆとりが大切です」みたいな、「揺らぎ」と「ゆとり」を掛けたような、ユラユラな人生が大事だということをおっしゃる方がいますが、僕はそういう表現をしないし、できない。なぜかというと、「揺らぎ」と「ゆとり」で音が似ているのは日本語だけの話だから、英語にはその概念がないわけです。この話をしたら、内田さんが「僕もそうなんだよ」とおっしゃっていました。あの方は、フランス語で書けないことは日本語でも書かないとおっしゃっていました。
そういうふうに、日本語表現自体が変わるという効果もあるようですね。
ゲーテは、「外国語を知らない者は、自国の言語についても何一つ知らない」と言ったそうですが、そうなのかもしれないですよね。英語ができるようになると、日本語の大事さもわかるようになってくる気がします。
もともと、会話文をカギカッコでくくる、「すぐお宅へお帰りですか」「ええ別に寄る所もありませんから」のような表記法は、明治以前の日本語にはないので、樋口一葉の『たけくらべ』とかは、地の文と会話文の区別がありません。しかし、漱石は完全にカギカッコで括っているのは、ヨーロッパの言語の影響ですよね。句読点なんかもそうですね。
だから、日本語は外国語に触れることで随分豊かになってきた。僕はドイツ語をある程度やったことで、日本語の感覚が少し変わってきたところがある。まあ、英語ほどではないけれども、そういうところを実感するので、やはり有意義なことだと思いますね。
漱石は非常に英文を読めたわりには、書く日本語は英語的な文章ではないですね。そこが漱石のすごいところです。漢文の素養が多かったということもあると思います。
ですから、英語脳は、日本語脳の充実にも通じるというのは、多くの人が安心することではないでしょうか。日本人として日本語を大事にしたいのに、英語を勉強すると日本語がめちゃくちゃになってしまうと言う人がいるけれども、そんなこともないという気がします。むしろ、最近は日本の流行歌の歌詞から、以前より奇妙な英語が駆逐されたような気がします。
でも、いまの世の中、やはり流行るものは国境や文化を越えたものだということになると、ビジネスをやるうえでも、特に英語の文脈は空気を吸っているように吸っていないとダメですね。小説で言うと、もう世界文学というのが当たり前の時代だと思います。べつに何語で書いてもあまり変わらないという時代なのではないか、と感じます。
川端康成の『雪国』を、ノーベル賞委員会が恐らく英訳を読んで、日本の情緒ということを評価したというあたりも、言語の不思議な力でしょう。英語でも『雪国』の情緒が伝わったということでしょう。つまり、日本的なものの意味も、英語で伝わるということです。