「詩の翻訳について(抜書) - 萩原朔太郎」日本の名随筆別巻45翻訳 から

 

「詩の翻訳について(抜書) - 萩原朔太郎」日本の名随筆別巻45翻訳 から

宮森麻太郎氏の英訳した俳句は、外国で非常に好評ださうであるが、その訳詞を通じて、外国人が果して何を感銘したものか疑問である。おそらくは歌劇ミカドを見物して、日本人を理解したといふ程度であり、俳句をHAIKUとして解釈した程度であらう。多くの場合に、外国人に好評される日本の者は、真の純粋の日本ではなく、彼等のフジヤマやゲイシャガールの概念性に、矛盾なく調和して入り得る程度の、テンプラフライ式の似而非日本である。真の本当の日本のものは、彼等に理解されないことから、却つて退屈されるばかりである。宮森氏の翻訳が西洋で受けている理由も、おそらくそれがハイカラ的俳句である為かも知れないのである。
小宮豊隆氏は、翻訳の不可能を例証する為、次の宮森氏の訳句を引例してゐる。
The ancient pond!
A frog plunged splash!
(古池や蛙とび込む水の音)
小宮氏は言ふ。俳句の修辞的重心となつているものは、「古池や」の「や」といふ切字である。この場での「や」は、対象としての古池が、ずつと以前からそこに有つたといふ時間的経過と、実在的な恒久観念と、併せてそれに対する作者の主観的感慨とを表示してゐる。句はその切字で分離されて居り、以下の「蛙飛び込む」は、目前の現実的印象を表現してゐる。そしてこの現実的印象としての瞬間が、恒久的実在の「古池」の中に消滅することによつて、芭蕉が観念する「無」の静寂観が表現されるのである。然るに宮森氏の訳では、この「や」が!の符号によつて書かれてる。外国語の!は、単なる感歎詞の符号であるから、それによつて原詩の時間的観念や実在的観念を表示することは出来ない。俳句に於ける切字の「や」は非常に豊富な内容をもつ複雑な言語であつて、外国語に於ける!の如き、単なる感歎詞の符号ではないねであるから、この点で訳が第一に不完全だと言ふのである。
次に尚ほ小宮氏は、言語の連想性に就いて述べてゐる。即ち例へば「古池」といふ言葉は、日本人の連想からは直ちに古い寺院の池や、庭園などにある閑雅で苔むした小さな溜水の池をイメーヂするが、湿気のない西洋にはそんな古池が無いのであるから、西洋人がこの語から連想するイメーヂは、アルプスやスヰスの山中などにある、青明に澄んだ大きな湖水であるだろう。そんな池へ蛙が一疋跳び込んだところで、何の詩趣も意味もあるものか。且つ「蛙」といふ動物は、日本人にとつては特殊の俳味的詩趣をもつて居り、夏の自然を背後に感じさせるやうな季節感をさへ有してゐるが、西洋人にとつては何等特殊の連想がなく、食用蛙の醜怪を思ひ出させる位のものであらう。してみればかうした翻訳を通じて、外国人の俳句から受け取る印象は、不可解以上に連想が出来ないと結論している。

小宮氏の説は、むしろ常識的にさへ当然の正理であつて、これが文壇に問題を起したのが、むしろ不思議な位である。僕の如き外国語に智識のない人間が読んでさへ、上例の如き英訳で芭蕉の俳句が訳出されてるとは思へない。正直に告白すると、かうした訳を読んで滑稽になり、いつも失笑を禁じ得ないのである。しかもこれが語学者として名声の高い宮森氏の訳であり、内外共に最近の「名訳」として好評されてるのを見ては、いよいよ以て詩の翻訳の不可能性を痛感する次第である。
「花の雲鐘は上野か浅草か」といふ句を、かつて昔或る人が次のやうに英訳した。
The clouds of flowers
Where is the Bells from?
Ueno or Asakusa.
西洋人がこれを読んで「葬式の詩か?」と反問した。奇妙なので聞いてみると、成程もつともの次第であつた。即ち「花」といふ言葉は、日本人の読者にとつて、直ちに桜花を連想させるのに、西洋人の読者にとつては、ダリアや、チューリップや、シネラリアを連想させる。そこでclouds of flowersは、さうした西洋草花の群生してゐる花壇か、もしくは花輪や花束の集団をイメーヂさせる。また「鐘」といふ語は、日本人にとつては仏教寺院の幽玄な梵鐘を連想させるのに、西洋人にとつては耶蘇教寺院の賑やかな諧音的ベルを連想させる。そこで今、この訳詩を読んだ西洋人の心象には、耶蘇教寺院のベルが鳴つている町の通りを、美しい花輪や花束の群が、雲のやうに行列して行く光景、即ち葬式のイメーヂが浮んだのである。
故にこの俳句を、もし正当に訳さうと思ふならば、「花」は英語のflowersではなくして、日本語の「花」といふ語をそのまま原語で用ゐる必要がある。また「鐘」はchimesやbellsでなく、日本語の「鐘」でなければいけない。即ち要するに、原詩を原語で示す以外に、翻訳は絶対不可能だといふ結論になる。