「知らなきゃよかった -   土屋賢二」文春文庫不要不急の男から

 

「知らなきゃよかった -   土屋賢二」文春文庫不要不急の男から

アリストテレスは「人は本性上、知ることを好む」と言った。
事実、赤ん坊は何でも口の中に入れて味を知ろうとするし、世界のあらゆる事象を知るために数え切れないほどの学問がある。
浦島太郎は開けてはいけない玉手箱を開けて中身を知ろうとし、「鶴の恩返し」では、鶴を助けた老人が、布を織るところを見たくて部屋を覗いてしまう。
だが逆に、知りたくないこともある。オイディプスのように、自分がそれと知らずに父親を殺し、母親と結婚しているという、受け入れがたい真実を知り、目を突いて盲目になることもある。
レベルは落ちるが、ふとんや顔を拡大すると、ダニがうじゃうじゃいるのが見える。そんなことは知りたくなかった。それを知ったが最後「肌がスベスベだ」などと素直にホメられない(幸い、ホメるような女がまわりにいないが)。
妻が食べ物を床に落としたのをそのまま夫の皿にのせて出したことを知りたいだろうか。何も知らなければ、知らぬが仏だ。いつも通りにおいしく食べた後、原因不明の下痢に見舞われ、「消費期限切れの物を食べさせられたのではないか」と疑うだけですんでいたところだ。
初詣に行き、夫が一家の健康を祈っている横で、妻が夫の死を祈っていることを知りたいだろうか。
妻が夫の歯ブラシで便器を掃除しているという事実を知りたいだろうか。
新型コロナでもそうだ。欧米では、新型コロナウイルスを「ブーマーリムーバー」(高齢者除去剤)と呼ぶ若者が出現しているし、医療崩壊が起きたイタリアでは高齢者を見殺しにしている。こんな事実は、死ぬまで知りたくなかった。
それを知ったが最後、高齢者に向ける微笑みは作り笑いとしか考えられなくなる。電車に優先席を設けているのも、優先席がなければだれも老人に席を譲らないからだし、敬老の日も、そういう日を作らなければ老人を敬う機会がないからだ。その証拠に、ふだんから大事にしている犬やネコのためにペットの日は作らない。そのうち、敬老の日は四年に一度になり、最終的には撤廃されて「十三月三十二日」や「夫の日」のように影も形もなくなるだろう。
そう言うと、「それが不満なら、尊敬される老人になれ」と言われるだろうが、無茶を言うのもほどほどにしてもらいたい。逆に聞くが、歳を取ったという厳粛な事実だけで尊敬することがなぜできないのか。もしかしたら「特別な能力がないと尊敬できない」というせせこましい考えをしているのか?それなら、玉乗りをしながらけん玉ができれば尊敬するのか?樹齢千年の古木は、花を咲かせたり、玉乗りができないから尊敬できないのか?
一方で、「知っていれば人生が変わった」場合も多数ある。
子どものころから、自分にどんな能力があるのか、知らなかったために、相撲、忍者、プロレス、各種楽器の練習に明け暮れ、全人生の七割の時間(二割は睡眠、釈明、謝罪などだ)を無駄にした。自分の能力や体格を知っていれば、身の程知らずの楽器演奏で人前に恥をさらすこともなく、何度も寿命が縮む思いをすることもなかった。おかげで、本来なら百五十歳だった寿命が、約百四十歳に減ったような気がする。
本稿の締切まであと一時間だ。人生の七割を無駄な時間がなければ、余裕をもって遊んでいられただろう。
ただ、その無駄にした時間を何に使えばよかったのだろうか。たぶんそれ以上にくだらないことに使っていたがろう。他に有意義な使い方を思いつかないのだ。有意義な使い方を知っていたら、死ぬほど後悔していただろう。そんなもの、知らなくてよかった。